常磐炭坑の跡を訪ねて

写真のほとんどが取り出せなくなってしまったが、とりあえず文章メインで22日の旅行の話。移動中の車内でポメラでこの記事を下書き、それをPCに繋いだ際に、処理の遅さに苛立ってガチャガチャとALT+F4押していたら…で22日付の記事につながるのだった。
行ってきたのは福島県いわき市の内郷、湯本。「常磐炭田関連遺産」を訪ねての旅だ。
詳しくは↓こちらのURLを参照のこと。
http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_03.html
http://www.i-heritage.com/file/2P.pdf

上記URLのPDFの地図を切り出した。
だが行ったはいいものの、ろくに見るものがなくてガックリ。見るものがない、わけではなく「そこにあるのに私有地だから立ち入れない」。住宅地の中にヌッと建つ(もちろん実際には逆に、住宅が後から建ったのだ)「3.内郷水中貯炭場」は見られるのだが、その他いろいろと肝心の場所が立入禁止なのである。「1.常磐炭礦内郷礦中央選炭工場」は門の向こうに頭が見えるだけ。荒れた坂道を登って敷地の脇に回り込んでも、「4.住吉一坑の2つの坑口」や「5.住吉一坑の扇風機上屋」は藪の向こうに遠く眺められるだけだった。まぁ、これで良好な状態で保存できるのだから、それはそれでいいのだけれどね。

……それにしたってもう少しマトモな地図はないものか。地図という地図はリンク先のこれしかないため、「6.内郷山神社」「7.内郷山神社の相撲場」を目指すにもまず「清光院」に向かい、現地に着いてから「たぶんこっち」と勘で行くしかなかった。このブログを見て「じゃあ行ってみよう」という人は一人としていないと思うが、グーグルマップで「いわき市 ハイツはくすい1」で検索すると石段の登り口がわかる、とアドバイスしておく。

石段の登り口には「近代化産業遺産」選定物件を示すプレートがあるが、どこの何かの説明は一切無いし、そもそもこのプレートから指定の対象までが離れている。そらまあ、この石段からが「近代化産業遺産」だろうけどさぁ……。

上の写真では切れてしまったが、右側には「内郷山神社」の参道入り口を示す(のだろうな)碑が建っている。裏側を見ると、「昭和二十九年度保安週間 受賞記念 内郷砿 常磐製作所 平発電所」と彫られていた。

石段を登って、これが相撲場。円形競技場的な装いの、しかし相撲場。奉納相撲のための土俵は何度か見たことがあるが(世田谷の経堂に住んでた頃は近所の神社にもあった)、こんなのは初めて見た。ていうか土俵は跡形無く、周囲の見物席? だけが残っていて、知らなければ正体の検討もつかない構造物だ。どうも収容人数があまりに多過ぎる気がするのだが、いったいどういういきさつで作られ、どう使われたか気になるところ。それにしても冬のピーカンは写真を撮るには厄介だね。

相撲場からさらに石段を登って、「内郷山神社」にも踏み入れる。しかし石碑も案内板も一切無しで、知らなければただの広場。いや、ただの広場以下、ろくに整備されていない広場だ。奥のほうにこっそりと煙突形のモニュメント(画像が取り出せないがこちらも確か「昭和二十九年度保安週間 受賞記念」だったはず)があったが、当時のものはそれくらい。

内郷エリアで見られたのは実質これだけ。いったん平まで行った後、湯本駅まで戻って「いわき市石炭・化石館」へ行く。屋外にはD51 946号静態保存機が展示されていた。デゴイチのしかも標準型とか有り難みはないのだが、屋根が掛けられていないにもかかわらず保存状態は良好、運転台にも入れた。さらにエントランスの前にはフタバスズキリュウのモニュメント。福島県いわき市で化石が発掘された首長竜だが、むしろ「のび太の恐竜」のピー助としておなじみのような。

さて、肝心の館内展示だが……。「近くに住んでいるなら、あるいはどこかに行くついでに寄るなら入館料(大人630円)相応の満足度はある」「しかし、常磐炭田跡を訪ねることがメインの目的では、これでは肩すかし」といった評価。だってなぁ、炭坑があったそのエリアまで出かけていったのに坑道跡には入れないんですぜ? ナマケモノトリケラトプスの化石は見応えがあるし、地下600メートルまで一気に下るエレベーターの演出などは面白いし、模擬坑道の模型もよくできているし、色々と制約があるであろう中で関係者が知恵を絞っているのはわかるのだが……。それにしたってこれでは「かつて炭坑があったエリア」である意味がない。

帰りにちょっと水戸に立ち寄る。といっても特に目的があったわけでなく、県庁や「水道低区配水塔」などを見て、玩具屋を冷やかして(売れ残りのボガールを購入)駅に引き返す。