「セルフサービス」黎明期 #2

<関連記事は11月3日付「セルフサービス」黎明期 #1の一覧から>
 
大宅文庫で『画報 文化生活』という雑誌の昭和32年3月1日号を閲覧してきました。先進的、文化的な生活様式を紹介するという、いかにも戦後復興期から高度成長期にさしかかった時代らしいコンセプトの雑誌です。色々と興味深い雑誌ですが、今回はセルフサービスの店に話題を絞っていきましょう。
まず「古い商法や他力本願ではもう商売にはならない そんな店での買物も損だ」という見開き記事。これは、海外の新商法や技術を伝えるものです。

<神武以来……>という言葉が流行するほど最近のわが国の経済状況は上々の好調らしい。十年前の敗戦の惨めさも、その多くは姿を消してしまった。<神武以来の>奇跡といえるかも知れない。
しかし、栄華を謳っているのはわが国ばかりではない。われわれと比較にもならぬ物凄い景気を楽しんでいる国もある。そして多くの海外では前代未聞の新しい技術や設備、方法で、より一層の繁栄を獲得しようとしている。曰く原子力、曰くオートメーションから新資本主義や社会主義といった基本的な考え方、マーケティングからレイ・アウエイ・プラン、トレーデイン・スタンプ、スーパーマケット、セルフ・サービス・システムと、よく新聞に見る新しい技術や商法だけでも相当な数になる。

我々はもはや「神武景気」という言葉でしか知りませんが、当然ながらまず流行語があって、それを反映して「神武景気」という言葉が生まれたということがよくわかる。「原子力」「オートメーション」「新資本主義」「社会主義」と、「スーパーマーケット」や「セルフ・サービス・システム」が同列というのもスゴイ話です。
記事は中小企業法案の概要と動向にひとしきり触れた後(いまググッたら昭和38年7月制定になっているんだが6年間何をやっていたんだ?)、こう続きます。

極端にいえば、この国際事情をあまりにも無視、過小評価したため私たちは敗惨の戦争にも突入したといえるのだが、その戦後の国際事情は戦前とは比較にならぬ大きなスケールで物凄く早いテンポで変わりつ々ある。
最も簡単な例を挙げれば、私たちの店舗だ。このページで紹介する、これらの商店は、南アフリカ連邦、米領西印度諸島のプエルト・リコ、中米のサルバドール、メキシコ、南米コロンビヤ、ブラジルなど、むしろ二流国と見られる国々の商店の店舗だ。

とまぁそういうわけで、掲載されている写真は海外のスーパーマーケットの店内外の様子を伝えるものばかり。この記事の主題はあくまでスーパーなのでした。
用語解説では、

スーパー・マーケット=豊富な資金で有名商品を大量に安く仕入れ、薄利多売をモットーとする。総合食料品店が多く、時に雑貨、衣料店もある。多くはセルフ・サービスでチェーン組織が多い。
セルフ・サービス=客が必要な、あるいは好きな商品を自ら選択して出口で精算して出る。

スーパーマーケットが必ずしもイコール食料品店でなく、必ずしもセルフサービスでないという解説が興味深いですな。
 
ページをめくると、またも「増えてきたセルフ・サービス」という記事。こちらは日本国内での実例、「最近増え始めた東京下町の食料品店の経験談」を伝えるものです。荒川区町屋の「小田万」という店舗面積18坪の比較的小規模な酒屋兼食料品店(が、セルフ・サービス・システムを採用して成功したというお話。

期待は裏切られなかった。今では四人の店員が六人に増えたが、売上げは二倍になった。夕方の混雑時にも一台のレジスターで迅速に客捌きが出来るので応待もよくなり、客に喜ばれるようになった。殊に若いお客は絶対好評を博した。

こちらの記事が興味深いのは、食料品店の「セルフサービスの店」化を取り上げながら、スーパーマーケットのスの字も出てこないこと。昔からあった店が店内レイアウトと販売方式を変えた場合は、なるほどスーパーマーケットではない道理です。
ただその一方、「町屋 小田万」でググるとこんな書き込みがヒットしました。

荒川区・町屋またーりスレッドその2♪
276 名前: 267 投稿日: 2002/04/16(火) 00:59
(略)
小田スーパーって、今何があるところでしたっけ?
  
277 名前: おいらの町屋 投稿日: 2002/04/20(土) 10:55
(略)
「小田万」は今のトリゴエSORAの隣のビルがその跡地、花寿司とかメガネなんとかが入っているビルにあたります。

「小田スーパーって」と尋ねていることから、後年はこの小田万もスーパーと呼ばれていた(もしくは称していた)と見られます。
さて、『画報 文化生活』の記事に戻って、最後に「セルフ・サービスとは・その現状」という解説が加えられています。基本的な解説はさておき日本の現状はこう書かれていました。

日本では四年前、東京青山の紀伊ノ国屋が外人客を主にして店を開いたのが始りで、今では東京では五十軒、全国で約一五〇軒がセルフ・サービスを行っている。そして毎月十けんづつくらい増えているそうだ。日立製作所、富士製鉄の釜石、広畑の事業場の配給所も、この方法を採用し、最大二五〇坪もの大規模な店を経営している。
(略)
従来の採用例の結果では必ず近い将来、非常に普及するだろうと言われています。

セルフサービスの店が全国でも150軒しか無かった! それにしても、「非常に普及するだろう」という予想はバッチリ当たったわけですが、セルフサービスのほうが普通になるとまで果たして予想していたかどうか……。

記事のメイン写真、「典型的なセルフサービスの店構え <小田万>さんの店内」とのキャプションが振られています。


「セルフ・サービスに改装した店の外観」。

左上に「和洋酒 食料品」右下に「セルフサービスの○」。業態・規模とも、そもそものきっかけである秩父の「あさや商店」によく似ているようです。
 

ついでにこの画像も貼っておこう。細倉鉱山跡を利用した観光施設、細倉マインパークの近くにあった「セルフサービスの店」、1994年8月21日撮影。電化廃止を翌年に控えた栗原電鉄(現在は全廃)に乗車したところ、終点の駅前にあったのでした。99年頃の道路拡張工事の際に取り壊されたようで、現在は影も形もありません。

三菱マークの跡がはっきり残っています。『文化生活』記事に名が出てくる「日立製作所、富士製鉄の釜石、広畑の事業場の配給所」と同様、これも元は細倉鉱山(三菱金属鉱業が経営)の配給所だったと見られます。

94年の訪問時、店内には入れませんでしたが「入口」「出口」を分けてはっきり表示する店舗形態の特徴は見ることができました。