最近見たTV番組

仮面ライダーウィザード」
歴代ライダー共演、といっても本物でなく指輪の魔法なのでさほど有難みは無く(「シュッてなんだよ?」とは確かに思う)、見所は「仮面ライダー鎧武」のお披露目だろう。オレンジの皮をモチーフにした目つぶし攻撃を仕掛けるかと思ったらそんなことはなかった。バナナライダーが得意なのはスリップ攻撃だとか、メロンライダーにはマクワウリライダーという影武者がいるとか、ブドウライダーは酔拳の使い手だとか、そういうのも多分無い。
ところで、

それでも町は廻っている 6 (ヤングキングコミックス)

それでも町は廻っている 6 (ヤングキングコミックス)

「しんばんぐみにふあんがつのる」って、仮面ライダーに関してほぼ毎年使えるネタなのにネット上には画像が上がってないのね。

 
宇宙戦艦ヤマト2199#25
劇場公開に間に合わなかったあれやこれやにちょっとビックリ(ゲールは出てきただけ、フラーケン一家とヤーブは登場せず)。ていうかフラーケンは無駄にカッコつけ過ぎで、あのまま潜航できずに直撃受けてたらマヌケどころでなかったよ。チョーさんの声ってモブに紛れがちだから最初は気付かなかったけど、とっさの判断で「ベント開放、行けます!」と言ってたのがヤーブだったのか。

大勢が見えていないゲールは惨めだけど、どうあれ自分の意志でデスラー側についたのだから、成し崩し的にデスラーに付いていかざるを得ず、挙げ句戦死した兄タランよりはマシでしょう。この人、前回からずっと「おやめください総統!」しか言ってなかったような気がする。このあたりの描写をつぶさに見ていくと、ディッツ提督たちはゲールの命令違反に対しては特務部隊を差し向けるほど重視しているのに、その背後にいるデスラーには気付いていない、といういささかマヌケな状態なのですが、まぁてんやわんやで情報が錯綜していたと捉えるべきか。

残念なのは、ガミラス人と地球人とでは生存環境が違う、という旧作の設定が反故にされたこと。第11話の時点で明らかだったことだし、いま「放射能」設定が扱いにくいのは分かるけれど、やはり何らかの形で残して欲しかった。見た目は地球人とほぼ同じで知性も同程度だけにあの設定はインパクトが大きかったし、赤く干上がった地球に関する種明かしにもなっている。「愛し合うことだった」に対する異議申し立て(んなこと言っても共生なんてできねーし、みたいな)としても重い。そもそもあの設定があるからこそ白兵戦にドラマとしての意味があったわけだしねぇ。

デスラーは結局、何しにヤマトに乗り込んだかよくわからないまま逃げ帰ることに。中々にマヌケな姿ですが、ビーム兵器が使えない亜空間で攻撃を仕掛けておいて一方的に砲撃を喰らうというのもまたマヌケ(ミサイルor魚雷は搭載してないのか?)、そのうえ「野蛮人め!」と負け惜しみを言うようではさすがにフォローにしようがない(苦笑)。「デウスーラ爆発の直前、よく見るとブリッジが分離している」という話題が巷で盛り上がっているのをみて、「あれ? 何年か前にもこういうのがあったような?」とちょっと既視感に捉われた。あれだ、コーラサワーだ。でも「2199」のデスラーは帝都臣民にあんなことをやらかした上に加えて今回の無様さ、一方でガミラス本星ではデスラー抜きでの再建の描写があったし、続編があるとしても旧作のような立ち位置での再登場はなかなか難しいのでは……。
 
聖闘士星矢#107,108
一輝「お前如きに名乗るほど安っぽい名は持ち合わせていないが、倒された相手の名も知らずにあの世に行かせるのもまた不憫。耳の穴かっぽじってよく聞け、俺の名を!!」
カーサ「お前はフェニックス一輝!」
一輝「……(名乗らせろよ)」
と結局無言のまま幻魔拳を放つのが可笑しかった(原作ではちゃんと一輝が名乗ってました)。それと一輝兄さん、「人の心につけこんで汚い勝利を収める三下」って幻魔拳が得意な兄さんに言えた台詞じゃないよね。

108話はかつて氷河と共に修行をしたクラーケンのアイザックが登場。良かった、師匠がちゃんとクリスタル聖闘士だ。キャラソンをBGMにした修行時代の描写に長々と時間を割いているけど、残り6話しかないのにこんなとこでのんびりしていいの? と妙な焦りを感じる。この頃はまだ春改編で終了というのは決まってなかったんでしょうか。
 
きんいろモザイク#12(最終回)
最終回なので総括っぽい感想。「面白い?」と聞かれたら「可愛いよ」と答える。その問答がイカちゃん以上に相応しい作品だった。仮に企画書を書いたなら「カルチャーギャップの可笑しさを描くコメディ」とか「言葉が通じなくても気持ちは伝わる友情物語」とか、そういう路線を前面に押し出してしまいそうな設定なんだけど、なんというかその、ごくごくありふれた日常系ゆるふわアニメに仕上がってました。

それが悪いかというとそうでもなく、「可愛いだけのアニメ」を仕上げるというのも高度な技術なんだな〜と思い知らされた気分。きらら系は制作会社や原作の性格が違っていてもそれぞれちゃんとアニメになっているというイメージがあるな。
 
神のみぞ知るセカイ 女神篇#12(最終回)
まぁ正直言うと原作ではこの女神篇で飽きてしまって、それまで集めていた単行本も処分してしまったのですが。アニメも1期2期は不満だらけだったのですが……。
しかしこの女神篇のアニメは見事だった。あれー、こんな面白い話だったっけ? と原作をちょっと読み返す気になってしまった。特に中盤以降、女神の覚醒でもヴィンテージとの戦いでもなく、ちひろがメインヒロインの悲恋をストーリーの核にしたのが巧い。全ての女神が覚醒した中で、ちひろには広げる翼が無いという悲しくも美しいエンディングに物語が収斂された。続きが観たいかといわれりゃ頷首しかねますが、とりあえず監督の大脊戸聡の名は覚えておこう……ってこれなんて読むのー!?(おおせど・さとし でした)
 
「わたモテ」最終回はこれから観ます。覚悟していたようなヒドイ話でないようでちょっと安心。