最近見たTV番組

2作品しかネタが無いが、2時間ドラマとか3日も経てば忘れられてしまうので。
 
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!喪12(最終回)
いやー前回にも増していい最終回だった。つか、救いも笑いどころもない前々回から前回を経てこの最終回という流れは計算尽くか。

「今まで何してたんだ?」でこの1クールを振り返り、省みて、弟との会話特訓つまり「次回予告」は終わりだと宣言した上で、「智ちゃんのイメチェンの努力(の空回り)」という作品の原点に立ち返る。その目的が「男にモテる」から「クラスで存在感を見せる」に後退しているあたりに1クールの成長…あ、いや、1クールの変化が見える。

そうして哀しくも可笑しい努力の空回りを改めて見せたうえで、最後に実行委員長=今井さんに「ちょっと可愛いのよね。いつも何かに必死で、目が離せないみたいな感じで」と視聴者の心情を代弁させたのが見事だ〜、と思っているとオープニングのイントロが流れて逃げるような大疾走! ときてスッと力が抜けるように「ホント、どうでもいいわ」……そして始まるいつものエンディング。智ちゃんは、いやもこっちは成長せずまたいつもの日常に帰っていったと匂わせながら、妙な充足感のある幕引きだった。

どうにもアニメにしづらい、並みの手腕では料理のしようがなかったであろう原作に、過剰なドラマを付与することなく1クールのシリーズにまとめ上げた手腕に感服する。これも監督(大沼心)と脚本・シリーズ構成(吉岡たかを)の名前を覚えておこう。ていうかどっちも結構な実績のあるベテランなのか。
 
「神様のベレー帽〜手塚治虫ブラック・ジャック創作秘話」
覚悟したほど酷くはなかった。多くの視聴者が「ええっ!! 手塚治虫ってこんなイカレた人だったの!?」と驚き、そのうちの何割かは原作に手を出してくれるだろうから、それでいいんじゃないのと思う。良くも悪くも原作の上澄みで作られたドラマだから、ドラマ版経由の新しい読者が原作を読んで「なんだ全然違うじゃないか!」と裏切りを感じることもあるまい。
原作にいない新人女性編集者の存在は不安要素だったが、「手塚治虫の名は知っているし1、2作は読んだことあるがよく知らない、さほど凄い人とも思ってない」という視聴者が主なターゲットなのだから、劇中にもそうした視聴者に似た狂言回しがいたほうがよいのは確か。いささか安直だがオーソドックスなアレンジで、まず受け入れられた。あのキャラクターのぼんやりした視点だから、手塚治虫の実像とは少々違っても、ソフトフィルターのかかった状態でも良いという点でも存在意義はある。
ただ、最終的にその編集者のほうに物語が収斂されてしまうのは「オイオイ"手塚治虫の"創作秘話だろ?」という気分。連続ドラマでなく2時間の単発ドラマとしてオチを付けるならこうなるのはわかるが、もうひとひねりふたひねり欲しかった。
「ぼく(手塚治虫)にできるんだから、あなたにだってできます」というムチャ振りを肯定的なメッセージと位置付けたことに関しては、一段上のレベルでの問題提議の狙いがあったものと解釈。「いいこと言うぜー」と素直に受け取る視聴者だけでなく「手塚治虫だからできたことを他人に押し付けるなよ」というクールな視聴者がいることも予め織り込み済みだと思う。
役者に関しては、私は極論すればただの駒としか思ってないので良くも悪くも気にならなかった。気にならないのだから酷くはなかったのだろう。