大井川鉄道

3月2日、スズキ歴史館を見学した後は、同じ静岡県下でも東のほうに位置する金谷へと移動。大きな目的は大井川鉄道完乗なのだが、その発車待ちのわずかな時間を使って、駆け足でひとつ見てきたものがある。

東海道本線の窓から見えた、廃トンネルの跡だ。

これは明治時代に造られた、旧牧之原隧道だという。
http://blog.goo.ne.jp/kinosan1/e/66a84c5423e48b3615678eb7186ac0e0

歴史的価値は十分以上にある物件なのに、ほとんど埋められてしまっているのが残念。


さて、大井川鉄道といえば蒸気機関車の保存・平日含めた定期運転で有名な路線だが(これは新金谷駅構内に静態保存されているC12 164)


電車や電気機関車も、他社から多種多様な車両を引き取って運転している(京阪3000系、大阪窯業セメントいぶき501形)。それは動態保存という目的もあってのことなのだが、


それでもお払い箱になったり、引き取ったきり使う機会が無い車両もあって(岳南鉄道1100形、西武鉄道E31形)、いわゆる産業遺産保存の難しさを感じてしまう。……E31形は使う気まんまんだった気がするけどなぁ?
(↓2016年1月12日追加)
この後、たまたまどういう事情かを知った。

東洋経済オンライン 2015年06月17日付記事
「崖っ縁大井川鉄道は生き延びられるか(上)3ページ目
http://toyokeizai.net/articles/-/73517?page=3
(略)
2011年からSL急行の金谷駅乗り入れを中止している。西武鉄道から中古の電気機関車を購入し、金谷駅―車庫間でのSL回送用に充当する予定をしていたが、ATS設置費用3000万円を捻出できなかったのだ。機関車3両は5年前から車庫で放置されたままだ。

森口誠之の記事なので信用していいだろう。


さて、私が乗った列車の牽引機はC56 44。オフシーズンながら、団体含めて5割くらいの乗車率だったかな。


客車はいわゆる「旧客」。私が乗った1号車はオハ35。

全車禁煙ながら「JNR」の国鉄マーク入り灰皿が残っているなど中々ムードがある。ただ、SL急行といっても乗っている間は牽引機は見えず、それがSLだと意識することはあんまり無いわけで、バスツアーの団体客のほとんどは新金谷で乗って家山で降りてしまうそうな……。おかげで大井川鉄道は経営が苦しくなり、SL急行料金を値上げした。私が乗りに行こうと思ったのはそのためだ(「値上げの前に乗っておこう」という意味ではない)。

終点千頭駅千頭まで乗り通した乗客も、私含めて決して少なくはなかった。

薪?の積み込みという珍しい作業も見られた。

猿の軍団」劇中で見られた無蓋貨車cト100形。同形だが「猿の軍団」に映ったのはcト101、これはcト109。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20110202#p2


井川線南アルプスあぷとライン)には基本乗りっ放しで、行って帰ってきただけなので大した写真は無し。しかしアプトレール区間に入るアプトいちしろ駅での連結作業は時間がかかるため、客車から降りてバッチリ撮影。

終点の井川。山中というか山上の路線なので車窓はかなりの見応えだった。
かくて金谷に戻った頃にはすっかり夜。当初は、大井川鉄道全線往復を果たした後は埼玉に帰る予定だったが(普通列車の乗り継ぎでもギリギリで日付が変わる前に帰り着けるのだ)、前日ちょっと気が変わって、浜松にもう一泊することに。

<3月1〜3日の静岡旅行レポート>
「航空自衛隊浜松広報館」 「浜松ディオラマファクトリー」 「遠州鉄道」
「弁天島」 「スズキ歴史館」 「大井川鉄道」
インターミッション
「天浜線気賀駅の周辺」 「奥山線の遺構【金指、亀山トンネル】」
「鴨江別館・木下恵介記念館」
「JR東海浜松工場〜堀留ポッポ道」