「続 鉄道路線変せん史探訪」

「続 鉄道路線変せん史探訪」(集文社)、守田久盛・高島通著。1979年12月刊。これまた宇都宮東武古書市で購入、1470円。
 
この本はまず、横須賀線などの東海道支線、日光線などの東北支線のそれぞれ開業までの経緯を紹介。後半は「近代化の足がかり」と題して、中央停車場(東京駅)や秋葉原駅、東京〜万世橋間や東京〜上野間、そして上越線の建設・開業の経緯を紹介しています。ただ、日本の鉄道史というのは、建設概要、工事誌などの公式のかっちりした史料が残っているんですね。そのため、「忘れられた事実」「埋もれてしまった資料」というのはなかなか無い。だから、今もしも同様の本を作ってもこれと大差ない内容になるでしょう。その点、1979年刊ならではの面白みは欠ける本です(ていうか大体どこかで読んだ覚えのある話なので斜め読み……)。
そんな中で目を引いたのが、鉄道開通が与えた社会的な影響についての記述。1931年の清水トンネル完成によって、上越線が全通しました。

 これを東京・新潟間で見れば、従来の信越線廻りの431km、う回線である磐越西線回り417kmに較べれば、それぞれ92km、84kmと大幅な短縮となったのであり、それまで富山、石川両県とならんで、東京よりは大阪の勢力圏といわれてきた新潟県は、この日を境に上越線を直行して、東京圏に入ってきたのである。

大阪の勢力圏といわれてきた新潟県、という視点は全く欠けていたのでちょっと新鮮でした。
もうひとつ、これは「新証言」の発掘とも言える記述。吾妻線にある樽沢トンネルは全長わずか7.2mで、鉄道トンネルでは日本最短です。
大井川鉄道にもっと短いのがあるが正式なトンネルではない。参考→
常識的に考えたら、トンネルをくり抜く手間などかけずに山すそを削り取ってしまえばいいはずで、それなりの理由があるはず。ウィキペディア「樽沢トンネル」の項にはこう書かれています。

1946年(昭和21年)の長野原線(当時)開通時にトンネルも完成した。戦時中の突貫工事により作られたトンネルである。この程度の長さの岩場ならば通常は切り崩すか切り通しとすることが多いが、このような短いトンネルになったのかについては、吾妻渓谷の景観を損なうとの理由、強固な岩のためトンネルとした方が工費や工期が削減できた、現場工事の責任者がトンネルの上に生えている一本松を残したかったなどの諸説がある。

これについて、「続 鉄道路線変せん史探訪」は以下のように書いています。

中でも吾妻渓谷に沿う樽沢トンネルは延長7.2mという国鉄線中最短の記録を持つ名物トンネルである。工事を担当した五味信技師の話によると、「この場所は温泉場川原湯に近く吾妻渓谷の最景地。眺めて見れば前後には断崖を切り開いた線路敷、あの岩は一つの点景である。ということで多少手間がかかったが残した」ということである。国敗れて山河あり。というが、突貫工事のさ中に、その山河を残していただいた人々には心あたたまる思いである。

というわけで、景観保護のためだという理由が、工事を担当した技師の実名を出して語られています。「五味信」でググるとそれなりの地位にあった人のようで、有力な証言だといえるのではないでしょうか。



ところでamazonのデータですが、

続・鉄道路線変せん史探訪―真実とロマンを求めて (1979年)

続・鉄道路線変せん史探訪―真実とロマンを求めて (1979年)

なんだこりゃ? 何故に吉井書店になっているの? この間の「世界の奇談」の表紙写真の件といい(1月5日付)、マケプレだと基礎データがデタラメなケースが結構あるんだな。
鉄道路線変せん史探訪〈続〉―真実とロマンを求めて (1979年)

鉄道路線変せん史探訪〈続〉―真実とロマンを求めて (1979年)

そのうえ同じ本が別ものとして扱われてたりもします。出品者が違うためでしょう。こちらは正しく、集文社となっています。