【男が邪魔】
邪魔でない、かもしれない。が、あらかじめ諦めておくにこしたことはないだろう。
原作「ゆめのかよいじ」は、高校生女子と幽霊女子とのラブストーリー。なのでアレンジとして、幽霊女子の対極である生身男子を恋敵に加えて三角関係を成立させるというのも、アリといえばアリである。あとまぁ、二枚目俳優がメインで出演してないと女性の動員が期待できないとか、ヘテロなラブストーリーの要素がないとデートムービーにならないとか、そういう商業的な要請にも応えなきゃならんのだろうな、とも思っていた。
んだけどね、こう、あらすじや新聞記事とかを読んでるうちにだんだん心配になってきた。ひとつは、予告だとチョロチョロ映るわりに、この人物に触れた記述がみられない、という謎。悪目立ちするだけでストーリー上は不要、というただ邪魔なだけのキャラなんではなかろうか。
加えて、↓こういう監督の発言をちょっと勘繰ってしまう。
「中越地震や東日本大震災では、大切な人や場所を失った人が多い。もう一度、存在して当たり前のものを大切にしてほしいという思いを込めた」と撮影の狙いを語る。
(略)
「何もできない自分が悔しかった。それ以来、故郷の風景を映像に残そうと思うようになった」と振り返る。
(略)
「(略)、これからも身近な風景から日本人の良さである思いやりの心を感じ取ってもらえる作品を作り続けたい」
男がどういうキャラクターかというと、予告に映っている範囲だけでも「(スチル)カメラを提げてヒロインやその周りを撮影する男」なのね。つまり、彼はかなりあからさまに監督の分身なのではないか? という不安。だとすりゃ、映画の出来不出来以前にまず単純にキモい。原作にはいなかった(原形はいた)キャラをこしらえた理由が、「自分の分身を映画の世界の中に置きたかったから」なんてものだったら、そりゃあキモいと思うよ。
さほど重要なキャラでなく、それこそただ「ヒロインやその周りを撮影するだけの男」だとしても、やっぱり邪魔になりそう。ストーリーの根本は、ヒロインの目にしか映らない世界・ヒロインだから分かる「古いものの価値」をめぐる話なんだから、ヒロイン以外の「視点」に果たして居場所があるのか?
そこらへんの人物配置のバランスが、果たしてちゃんと調整されているのか甚だ不安。
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