『昭和30年代村―伊東で町おこし』

過去に何度かとり上げた、伊東の「昭和30年代村」。
●2005-06-24「リアルにオトナ帝国」
 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20050624#p1
2005-12-21「昭和30年代村事業説明会」
 http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20051221#p1
 
私は、都内の説明会には行くけど現地説明会には行かない、という程度に興味を持っていたのですが、2009年頃に計画は頓挫し、白紙撤回されたようです。

ツカサとしては、今ではそんな計画など全く無かったかのような扱いで、いつ頓挫したのかも確認できませんでした。個人ブログの記事で、予定地に立てられた「私有地」の看板が、他社名義になっている画像を見た記憶があるのですが、先程ざっくりと検索をかけてもヒットせず。

そういうものと知りながら、あえて2011年11月にこんな本を購入しました。

昭和30年代村―伊東で町おこし

昭和30年代村―伊東で町おこし

ま、言ってしまえば私の底意地の悪さなんですが、読んでみるとこれ、イヤミや皮肉は抜きで面白い本でした。

川又氏は、ハウステンボス日光江戸村などテーマパークの先行事例を検証。実地での個人的な感想を交えながら、それらの問題点をあぶり出す。その上で、「昭和30年代村」がそれらとはどう違うのかを熱く語ってくれます。

川又氏の思いはいささか熱過ぎる部分があって、「定住可能とすることで、テーマパークではなくひとつのコミュニティを作り出す」……というあたりから相当に夢想的な暴走をみせるのですが、それも含めて一定以上の説得力が感じられます。

プロジェクトの進行は、現実的かつ周到そのもの。伊東という土地の選択が上手いし、一挙に大規模テーマパークをドンとこしらえるのではなく、段階的に進められることも、地に足の着いた印象。

現地の自治体等には歓迎されていたというし、その一方、川又氏は銀行のことは微塵も信用しておらず(この本の肝のひとつ)、資金調達に関してはドライで慎重です。これ、そうそうズッコケる計画だとは思えないのですが……。

でも、頓挫したというのが現実なんですよね。

マァ、仮にオープンまでこぎつけたとしても、その後は「リピーターや定住者をどう確保するか?」という根本的な問題を抱えることになったと思いますが、それにしても、それにしても。オープンさえできず計画は白紙撤回、という大失敗に終わるものとは思えないんです。とにかく、一読しただけではその失敗の理由がわからない。

「何故失敗したのか?」を読み解き、かつ「いま進行している会津昭和30年代村計画には成算があるのか?」を推し量る……。そうして「失敗学」のテキストとして読むのであれば、この『昭和30年代村―伊東で町おこし』には十分以上の現代的価値があるといえるでしょう。



蛇足ながら、会津昭和30年代村は伊東に比べて地理的条件が劣悪で、私は全く成算無しと見ています。本格始動の直前に震災&原発事故があったのはお気の毒ですがイメージダウンは大きいし(実際のところ会津となれば事故の影響は皆無ですが、風評被害は量らなければならない)、東京からそもそも遠過ぎるし(伊東は120km見当、会津は280km見当)、交通の便も悪い(伊東の昭和30年代村は、新駅が開設されれば東京・新宿から入り口まで特急列車で一本だったが、会津へは新幹線に乗って郡山で在来線に乗り換え、最寄り駅の会津若松からさらに車で20分以上かかる)、周辺の観光施設からは遠く(ひとつの観光エリアとなっていない)、寒冷という気候イメージがついている等々、伊東に比べて問題山積。しかもその問題は解決のしようがない。伊東でダメだった計画が会津で実現できるものか。

もっとも、だからこそ「関係者にはどんな成算があるのか?」に興味が持てる、ともいえますけどね。



〈2012.2.9追加〉
見つけた。「個人ブログの記事で、予定地に立てられた「私有地」の看板が、他社名義になっている画像を見た記憶があるのですが」の件。

『しいたけの伊豆高原情報とバイク旅』2008年11月09日の「昭和30年代村計画は頓挫ですね!」でした。
http://blog.goo.ne.jp/sawaki2004/e/d7a95be8d9bdac79348233acdc4bb8d0
「昭和30年代村計画地」と書かれた看板を隠すように「管理地 伊豆急不動産」の看板が立てられている様子がupされています。
なお、コメントのunknown氏はワタクシこと暗之云ではありません。