大宅文庫に行ってきた

仕事で大宅壮一文庫に行く用ができたので、ついでにシュミ的なものも閲覧&複写。
◯『婦人画報』誌1927(昭和2)年2月号 「写真行脚 東京の玄関」記者XYZ 写真部島村生 2枚
今回最大のヒット。戦前の写真ルポに、これほどお茶目な記事があるなんて予想外だった。総ルビだから、それほど教育レベルが高くない層を対象にした記事なんだろうけどとにかく可笑しい。実質的に匿名記事なのが残念。何者なんだXYZ?
 
◯『話』誌1933(昭和8)年4月号 「東京駅物語」高田晋 3枚
  
◯『週刊朝日』誌1960(昭和35)年5月8日号 「記者座談会 政治線と赤字線」、「のりものパトロール」#4阿川弘之 4枚
 
◯『週刊朝日』誌1960(昭和35)年6月12日号 「のりものパトロール」#8阿川弘之 1枚
当ブログでは「ぽんこつ」の語源追求シリーズ(2008年9月17日付「諸説紛々ポンコツの語源」)で名前が出てくる阿川弘之の連載エッセイ。第4回のほうではフェアリーロートダインを「世界最初の垂直上昇旅客機ーー簡単にいってヘリコプターのうんと大きくて足の速い奴」と大フィーチャー。日本全国至る所に就航している未来予想に思いを馳せて、「丸の内のビルディングの上から大阪中之島のビルの上まで、ロートダインが飛んでいますから、どうぞ。所要時間は一時間五十分」とか、「ロートダインはしかし、地方で一層の威力を発揮している」などと言い、「そうなるのが当たりまえだし、ぜひそうなるようにしてほしい事なのである」とまで言っています。
当時のVTOLに対する期待のほどがうかがえますが……。でもこれ、乗り物好きの作家のファンタジーならいいけれど、「日本航空あたりの現在持っている45年後の国内航空の青写真」っていうのはさすがに眉唾です。

◯『中央公論』誌1960(昭和35)年12月号 「チンチン電車全国のりある記 これほど民主的なものはない」鳴海正泰 4枚
その阿川弘之への言及がある記事。

作家の阿川弘之氏は、週刊誌に路面電車の撤廃を主張し、電車はトノサマ的のりものだといっている。たとえば東京の三田通りは一分間に四一台の自動車がとおる。そして都電が一台通る間に、四百台から五百台の自動車がとおる。一台の電車が専用の軌道をもって、四百台の自動車の邪魔をするのはけしからんというのである。

タイミング的にいって、週刊誌での主張というのはおそらく「のりものパトロール」のうちの一編でしょう。

阿川氏は電車をトノサマというが、電車の乗客をみてごらんになるといい。彼らはトノサマどころか、タクシー代を惜しむ比較的低所得の人たちが多いのだ。
(略)
こんな民主的な庶民的なのりものはない。大都市の交通がこのままだと、都心での自家用車は、乳母車ほどにも役にたたなくなるだろう。

と記事は締められています。前後しましたがこの記事は、「路面電車をやめてしまえという声が、いまほうぼうからでている」状況に対する異議を唱えるもの。ノスタルジーだけでなく、輸送量の試算なども交えて「どうも日本の都市交通政策は、アメリカでの失敗の歴史を、そのまま真似しているように思われる」と指摘しています。廃止が始まってから「やっぱり必要だったんじゃないか?」と言い出す人は少なからずいたようですが、1960年時点で都政調査会会員が「個人の自動車が自由に動けないからといって、公共的な電車を廃止せよというのはいただけない」と主張していたのは、ちょっと珍しいかもしれません。
 
◯『朝日ジャーナル』誌1967(昭和42)年10月15日号 「文明破壊者としての自動車」清水馨八郎,堀田善衛
当ブログでは『怪奇大作戦』の感想などに絡めて取り上げている、60年代後半の「交通戦争」状況に関する関心から閲覧・複写。保守系の論客として知られる清水馨八郎が『朝日ジャーナル』に寄稿しているのが少々意外に感じられるが、どうも昔は、専門である都市学の枠からはあんまりはみ出てなかったらしい。ま、私には割とどうでもいい人。
記事も割とどうでもいい。冒頭にこうある。

車の通る道路も、制度も、歩行者の教育も、運転者のモラルも満足に確立しないまま、つまり社会体制がないままに、外国のモータリゼーションに遅れをとるな、と商品としての車の生産と普及だけが跛行的に先行してしまった。

というわけで、道路や制度などの体制が整備され、歩行者や運転者がモラルだのなんだのを身につけたので、「交通戦争」状況は解消され、世の中なんとかなったのでした。
堀田善衛の「自己喪失をうながすもの」というエッセイめいた論評はちょっと面白い。自動車を運転していてるとき「対向車と呼ばれるものや、さまざまな障害物などの、他に対することだけで私は存在していることになる」といい、それを「対他人間(タイタニンゲン)」と名付けている。私が自動車の所有を止めた理由の2番目が「移動中に雑誌も本も読めない=運転以外には何もできない」だったので、その自己喪失という感覚には共感を覚える。
また、堀田はこの記事を、アウトバーンでの路上における車同士の交流を例にして「この社交が、対他人間を対他人間のままで自分人間にもどしてくれることにもなるのである」という認識で締めています。今はマァ大体そんな感じになったかな? とそれなりの先見の明を感じるところ。
 
◯『流動』誌1977(昭和52)年9月号 特集「国土の構築 近代建築と都市空間」 13枚
 伊東孝「都市計画再考」、藤森輝信「時代の表現 近代建築10選」