「コンセプトなど知るか、車は見た目!」という愚説

久々に、NBO(日経ビジネスオンライン)の記事の話題をひとつ。

日経ビジネス 記者の目
『「自動車メーカーの「らしさ」とは? 「86」、「ミラージュ」に感じること』

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20111212/225063/

今年の東京モーターショーの記事である。そこに「「86」だけど「レビン」ではない」という小見出しがあった。さて、どんな内容を想像するだろうか?

今回のモーターショーで注目の的だったトヨタ86。その最大のセールスポイントはFRであることだ。だから、5〜7代目の10年間はFFだった「レビン(トレノ)」の名を復活させるのではなく、トヨタにとって最後の小型FRスポーツ車だったAE86(4代目の型式名)にちなむ名にしたのだ。FRにかけるトヨタのこだわりが伝わってくる。

私はてっきりこういう記事かと思った。まぁクルマ好きならば、だいたいこんな感じだろう。

ところが問題の記事はそんなレベルではなかった。

 新しい「86」は恐らく、かつてのレビンと比べれば走りの性能は段違いに良くなっている。優れたスポーツカーだ。だが、私のような団塊ジュニアの世代にとってみれば、どうしても青春時代に輝いていた往年の名車と比べてしまう。どちらが優れているというわけではない。かつて、あこがれたクルマが目の前にない。それだけのことだ。

新しい「86」は私のように過去のレビンを知る人にとっては、やはり「違うクルマ」だ。

グダグダウダウダと言を重ねているが、要は「トヨタ86はぱっと見、往年のレビンでなかった。ガッカリだ」という、噴飯ものの記事である。

「『小型軽量のFRスポーツ車の復活』なんてコンセプトには興味はありません。ていうか何それ?」と主張しているようなもので、素人もいいとこ、市井の車好き以下のセンスだ。個人ブログならまだしも、『日経ビジネス』の記者が「記者の目」というシリーズで提供していいレベルではないだろう。

ところがこの記者、最後にさらなる爆弾発言をやらかす。

欧州車のブースには「らしい」クルマがあった
(略)
「やはり欧州メーカーは、特にデザイン面でうまくブランドを作り上げていますよね。『ミニ』とか『ビートル』は、いつの時代もそれっぽい格好をしているね」と、私と同じ感覚を持っているようだった。

おいおいおいおい。そりゃおっしゃるとおりですがね。ニュービートルは、見た目を復活させることにのみ注力したパイクカー(死語?)じゃないですか。それっぽい格好をしていて当然、というか他に何も無い。

旧ビートル(元祖フォルクスワーゲン)の、RRというエンジンレイアウトや応力外皮構造故のタマゴ形は意に介さず、ただ見た目を似せただけ。合理性もへったくれもない。ついでにいうとニュービートルは元来アメリカ市場対応であって、「らしさ」を大事にする欧州車という文脈とは無関係だ。

ただ、ここで私は改めて思うのだ。この記事を「記者の不見識」と叩くのは容易である。しかし、実のところこれは「ディーラーの現場の感覚、ライトユーザーの感覚」なのではないかと。

トヨタ86<<<(越えられない壁)<<<ニュービートル

とは、言い換えれば(こういう不等式もちょっと懐かしいね)

キーコンセプトの継承<<<(越えられない壁)<<<見かけのイメージの継承

である。販売レベルで言えば、低重心がどうのFRがどうのエンジンの吹き上がりがどうのよりも、とにかく見た目! なのではないか?

記者は

私は今の自動車メーカーに、言葉だけの「らしさ」ではなく、私たちにも分かる「らしさ」をもう1度磨き上げて欲しいと思う。過去の名車の名前を借りるのではなく、名前も何も分からなくても、これがトヨタだ、これが日産だということが、世代にかかわりなく分かる形で。

と締める。だが、こういう手合いにも理解できる「らしさ」とは、見た目なのだ。見た目だけなのだ。

だから何も、スバルとの共同開発でブランニューモデルを一から作り上げることはなかった。「ハチロク復活!」をうたうにしても、コンポーネントは現行カローラと共用しつつ、ガワだけは一見してAE86の後継者だとわかるデザインにする。それだけで十分だった。

メーカーの企画担当、設計担当には気の毒な話だが、しょせん、その程度のものしか求められていないのである。この世の中マニアよりもミーハーのほうが圧倒的大多数なのだから。そういう身も蓋も無く残酷な事実を教えてくれるという点において、非常に有意義な記事である。