/なぜエアカーなのだろう

かつて描かれた未来の車というと、たいがいがタイヤの無いエアカーだった。

"AERO CAR"
(『小学館の学習図鑑シリーズ 交通の図鑑』昭和31年11月初版、昭和36年6月改訂、昭和41年11月改訂11版)

「えあかあ」
(『小学館の育児絵本 のりものあいうえお』 1971)

ここまで昔でなくとも、例えばあの「機動戦士ガンダム」(1979年)にも、四輪車形態から特に意味もなくホバークラフト? に変型するギミックをもつバギーエレカがあるし、「未来警察ウラシマン」に描かれた未来の車もエアカー。これは過去(製作年である1983年)から来た主人公の愛車マグナビートル(VWビートルの改造車で四輪車)を引き立てるためだろうが、そもそも「四輪車=古いもの」という図式が、エアカーに四輪車が淘汰された未来を前提としている。

いやいや、昔の作品どころか、近年のアニメ・映画にしても、未来の車といえばやはりエアカーではないか。しかし現実的に言って、仮にエアカーが実用化されたとしても、それが四輪車を淘汰する未来は考えられない。だって必要ないもの。

そう、ここで「何故」に立ち返るのだ。「なぜエアカーなのだろう」。60年代にはエアカーは、もちちろんパストフューチャーでなく、真の未来図として思い描かれていた。技術的にはその時代、ホーバークラフトの実用化と発展があり、「水上でも地上でも進める、空気の力で宙に浮く船」の姿に未来を見た、とは想像できるのだが…。それにしても乗用車がこぞってエアカーになる未来を、どうして本気で想像していたのだろう。空を飛ぶことに対する根本的な憧憬? モダニズム的な高層〜架空都市の延長上のイメージ? 

(追加)
コメント欄の話を受けて、ちょっと画像を追加。

国立の鉄道総研に保存されている、国鉄の最初のリニアモーターカ「ML100」。今の実験車は「列車」となっていますが、この頃のは「エアカー」的な見た目ですね。