/1960年にエアカーが作られていた!

エアカーを取り上げた2010年2月9日付「なぜエアカーなのだろう」
自家用飛行機の未来を取り上げた2010年2月13日付「自動車メーカー社長が言う「空飛ぶ車、空飛ぶ原付バイク」」
翼の付いた自動車を取り上げた2010年9月1日付「1950年代の「空飛ぶ車」」
に続いて、また改めて「空飛ぶ車」の話。

先日、大宅壮一文庫に行った折に、古い雑誌の「空飛ぶ車」の記事を閲覧してきました。その中で、エアカーに関して特に驚かされたのがこれ。『週刊新潮昭和35年(1960年)2月29日号に掲載された、「『車のない車』の登場 ―オモチャか実用品か―」という1ページの記事です。

「夢の自動車」と呼ばれ、英国をはじめ、世界各国で研究されているエア・カーの国産第一号機が出現した。
 製作者は、東京・深川の萩原久雄氏。萩原氏は米軍払い下げの発電用2サイクル六馬力エンジンを使い、手作りで完成した。名付けて、カメカゼ・オーバー・カー。
 自重六十キロ、一人乗り、長さ二・四メートル、幅一・二メートル、高さ一メートル、このサイズは法規による軽自動車の枠内に無理に収めてあるもので、性能上は、幅がもう少し欲しいそうだ。
(略)
エア・ダクトから出た空気は二重になったボデーの隔間(スリット)から噴き出され、地上十センチの高さを、時速五十キロで走らせるという構造だ。

なんかもう、この書き出しだけで色々と驚かされます。
まず萩原久雄氏ですが、日本初のラムジェット・ヘリコプターJHX-2を試作した人とのこと。その経験を踏まえて「ヘリコプターで人間一人を空中に持ち上げるには少なくとも三十馬力いる。ところがエア・カー方式だと十馬力もあれば十分である」と、エアカーの研究へと踏み出したと記事には書かれています。ざっとググッたところ、萩原久雄氏やJHX-2について書かれたウェブサイトは散見されますが、「カメカゼ」は全くといっていいほどヒットしません。
次に「法規による軽自動車の枠内に無理に収めてある」という部分。妙に「実用化」を意識していると見受けられる。このうえ記事の終わりのほうには、以下のように書かれています。

 今後の問題は、このエア・カーが公道上を走行した場合、法規的には、自動車なのか、航空機なのか――という点だ。道路交通取締法によると、自動車とは、「人力または畜力以外の動力で、レールまたは架線によらないで運転する諸車をいう。ただしソリはこれを諸車とみなす」というふうに定義されている。つまり”車のない車”として認められる可能性もあるわけだが、その場合、運転免許証はどうなるのか――。もちろん規定もないし、当局の態度もまだ決まっていない。

かなり先走り過ぎている感じはしますが、それにしてもかなり具体的にエア・カーの実用化を想定しています。

もう一点、「英国をはじめ、世界各国で研究されている」という話。これについては、後から腑に落ちる話が出てきます。

 英、米でも試作しているが、そのねらいは、最終的には”軍事用”にあるようだ。上陸用舟艇の代わりに、エア・カーを使えば、艦上からそのまま海面すれすれに走行して、上陸することも可能になる。

これなどは、まさに今日の軍用ホバークラフト(エア・クッション型揚陸艇)ですね。現代の感覚だと(あるいはパストフューチャーの感覚だと)、主に洋上で使用されるホバークラフトとエアカーとは別物のように感じてしまいますが、現実の技術史上では、その黎明期には未分化だったことがわかります。
ただ、興味深いことに「日本の自動車メーカー二社もこの研究(=エアカーの研究)をはじめていた」という記述もあります。やはり、艦船でなく車の進化形として意識されていた、とみるべきでしょう。2社ってどこだろう? モーターショーに出展していたかな? と、とりあえず『日本のショーカー1』(asin:4544910323)を開いてみましたが、当時のモーターショーはまだ市販前提の車の展示がメインだったようで、それらしいものは見つかりませんでした。
また、萩原氏のカメカゼに限ったことかもしれませんが、エアカーが今日のホバークラフトとは決定的に違う点が、ひとつあります。

 また、操縦は操縦カン1本で前進、後退、回転など全部処理できる。前進は操縦カンを前にたおすと、ボデーが前傾し、噴射気流がうしろに流れるので、このエア・クッションに乗って前進する。

浮上用の空気を使って推進も行う、という仕掛けなのです。推進専用のプロペラがあればホバークラフト、無い物がエアカーと定義できるかも?


これが、

これになるまで、さて何年かかるのだろう……(何年かかっても無理でした)。
結局のところホバークラフトは、エアカーとしてはどの国でも実用化されず、車ではなく船舶だと捉えられるようになったわけですが、カメカゼや自動車メーカー2社の研究成果は何かに生かされたのでしょうか? なお、日本製ホバークラフトが初めて商業利用されたのはカメカゼの8年後、1968年だったようです(ウィキペディア「はくちょう (宇高連絡船)」の項による)。これは三井造船のMV-PP5型で、最も一般的なイメージのホバークラフト、洋上で運用される旅客船でした。