肩の痛みは妖怪のしわざ

そんなわけで、肩の痛みの原因は頸椎が云々かんぬんとの説明で納得したわけだが、しかしそれが正しいという保証は無いのだ。

たとえば整形外科に行くより前に、頭が丸くて白いちっちゃい人が私の前に現れて、田の中勇の声で「その肩の痛みは肩痛小僧のしわざじゃな」とか言われたらどうか。

「肩痛小僧は人の弱気につけ込む。呪いをはね返すには、背筋を伸ばして胸を張り、堂々とした姿勢でいることじゃ。そうすれば肩痛小僧は退散し、肩の痛みも取れるはずじゃよ」とかなんとか言われたなら?

ものは試しと言うとおりに背筋を伸ばして胸を張れば、いやはや不思議、本当に痛みが取れるではないか。「ああ、妖怪って本当にいるんだなぁ」と納得した…、かもしれない。

「たとえば」なのでありえないレベルの話にしてみたが、いわゆる「霊障」なんてのは、「もっともらしさ」がもうちょい上というだけで、要するにこれと同じなのである。

そしてまた、整形外科医にきかされた診断も根本は同じだ。

機序の説明や再現性において、「もっともらしさ」はこれ以上はないレベルにまで達している。だが、誰によってその正しさが保証されよう? 現に、西洋医学は常に疑ってかかる人や、「肩が重いのは先祖の供養を怠ったためだ」という駄法螺霊視を信じる人だって、世に少なからずいるのだ。つまるところ、数ある選択肢の中から、私は科学的合理主義により到達した(とみられる)答を選んで信じているに過ぎないのである。

あー…、なんか極端過ぎたかな。ええと、単純に言って「曲がっているべき首がまっすぐになっている」診断は、まず見たまんまだからいいとしよう。しかし、その結果「だから左肩全体の筋肉が痛むのだ」というのは、「それってホントに関係あるの?」と思いません? もっと控えめにいうと「首の異常が肩に、それも左肩だけに症状となって出るなんて、人間の体っておかしなもんだなぁ」くらいか。

もちろん、「頸椎の間で神経が圧迫されている」とか「圧迫されているのは左腕のほうにつながる神経である」とか説明は受けているし、それに納得はしている。研究の蓄積の結果、到達した答えだろう。けれどそれでも、正しいという決定的な保証は無いのだ。

んでもって、じゃあ何故それでも科学的合理主義を選ぶかといえば、なんてことはない、公平であり平等だからだ。中途半端に「科学的」に依存する者にも、逆にそれを敬遠しあるいは軽んずる者にも、どうも「科学とは、頭の働きの優れた者、選ばれし者の知識と思考だ」と勘違いしている者が多そうだが、それは全く逆。条件さえ同じならば同じ結果が出る、予断や偏見が入る余地の無い(入れてはならない)公平な思考が、科学である。

……壮大に脱線して支離滅裂になったな。まぁこの話はいずれまた(と話を締めて、後で本当に触れたケースはほとんどない)