国民の不摂生は国家の礎を揺るがす

ちょっとだけ昨日の話(未成年の喫煙禁止の理由)続き。
話は未成年の喫煙に限りまぜん。国家は国民の健康を願っているのは間違いない。基本的に国家というものに信頼を寄せない私も、そこは信じている。なぜなら、そこには明白な利害関係があるからです。
ほら、よくいるじゃないですか。「健診の生活改善指導で、食べ過ぎは止めろとか酒は控えろとかタバコを吸うなとか言われたが、全く大きなお世話だ。俺の健康なんてお前らにどうこう言われることじゃない」って人。
カン違いもいいとこです。「自分の健康は人に(国に)心配されている」という甘ったれた根性の裏返し。国は別に君の身を案じているわけじゃあない。
国は確かに、国民に「病気にならないで欲しい」と願っている。ただ、それはなによりもまず純粋なゼニカネの話です。
健康増進法を背景とするメタボ健診や生活改善指導の目的は「医療費の削減」にあります。「生活改善で自分の力で大病を防いで、国民健康保険からの出費を減らしてくれ」という話。国民の自助努力に頼らざるを得ないほど、医療費の増大は深刻な問題になっている。
「余計なお世話だ」の人は、どうもその、医療費抑制という前提が抜けてるようです。明快な話なんですけどねえ? 何故にソロバンで理解せず、情緒に流されてしまうのかと少しばかり不思議です。医療費削減が目的であることは明言されてるのに……。
とくに喫煙者にはよく「ガンになっても早死にしてもそれは自分自身の問題だ」と主張する人がいますが、それではまだ覚悟が足りません。「喫煙が原因で病気にかかっても保険診療は一切受けない、全額自己負担だ!」くらいまで言えないなら、どうか止めて欲しいものです。