/バイオセンサーで解釈するZガンダム最終回

(承前)
もっとも、バイオセンサーという兵器が内蔵されていて、その力であのような現象が起きたのだと解釈しても、ドラマを成立させることは可能だ。
 亡霊飛び交う最終決戦は以下のように理解される。「あれは亡霊などではなく、カミーユの妄想に過ぎないのだ」と。実はこのほうがよほど話の辻褄が合う。
そう、あれはあくまでカミーユの脳内ライラさんだから、不自然な親切さを発揮してアドバイスを送ってくれる。脳内妹だから、ロザミア・バダムではなくロザミィの格好をしている。脳内サラだから死んでもバカが治ってないし、シロッコを守りたいという彼女の言い分には一顧の価値も認められない。そして、カミーユの脳内にはジェリドはいない。
Zガンダムが見せた驚異的な力は、実は、死者が力を貸してくれている……と思い込んだカミーユひとりの力だったのだ。これなら亡霊が宇宙世紀に実在しなくとも話が成り立つ。
要するに、カミーユは相変わらず思い込みが激しくて、その思い込みが力になっている、ということ。自分に向けられた好意や自己の正当性は全く疑わない一方、敵だと判断したシロッコには一切容赦しない。
そんな性格だからバイオセンサーの力を十全に発揮することができた……のだが、しかしこれでは、「なんだ男か」のただの一言に殴りかかり、生身の人間相手に60mm機関砲をブッ放しては高笑いしていた、番組開始当初から全く成長していないことになる。いや、自分ひとりだけでなくたくさんの他人、ひいては世界全体を背負った気でいる最終回のほうがむしろ性質が悪いとさえいえる。
Zガンダム」が仮に、人の心理の深い部分まで描いている作品だというなら、一見、様々な人との出会いと別れの中で大きく成長したかに見えるカミーユが、実は前より悪質になっているという裏面にこそ注目すべきではないだろうか。
カミーユは最後まで一人で完結していた。アムロは死者ララァに詫びて、生者たちが待つ「帰れる場所」にたどり着いたが、カミーユは死者たちの……自分の脳内に住む死者たちの声に導かれた挙げ句、一人で狂っていく。
「人はいつかわかりあえる」『機動戦士ガンダム』に対して、「人はいつまでたってもわかりあえない」のが『機動戦士Zガンダム』とはよく言われるが、バイオセンサーの設定は間接的にその裏書になるのである。