太宰治は眼鏡っ娘に逆萌えだった

週刊朝日増刊号『週刊朝日が報じた昭和の大事件』を読んでいて、強く興味を引かれた記事がある。『週刊朝日』昭和23(1948)年7月4日号掲載、「太宰治のこと」という末常卓郎の回顧の一節だ。

太宰は眼鏡をかけた女は大きらいだつた。幸ちゃんも実は近眼だつたのだが、彼の前では絶対に眼鏡をかけなかつた。そのため私も彼女が近眼であることは、彼女のアルバムを見るまでしらなかつた。

幸ちゃんとは、太宰が心中した山崎富栄のこと。それほどの間柄でも絶対にかけなかったというのだから、太宰の眼鏡っ娘嫌いは徹底していたのだろう。
調べてみると、作品中にも眼鏡嫌いに関する言及があった。

 だけど、やっぱり眼鏡は、いや。眼鏡をかけたら顔という感じが無くなってしまう。顔から生れる、いろいろの情緒、ロマンチック、美しさ、激しさ、弱さ、あどけなさ、哀愁、そんなもの、眼鏡がみんな遮ってしまう。それに、目でお話をするということも、可笑しなくらい出来ない。
 眼鏡は、お化け。
(「女生徒」、リンク先は青空文庫)

この描写は「女生徒」の自意識なのだが、先に挙げた記事と併せて考えるに、太宰の眼鏡っ娘観であるとみて問題あるまい。太宰にとって女性の眼鏡とは、その内実を覆い隠すほどの付加要素だったのだ。
これは裏を返せば、眼鏡というものに極めて強力な「キャラクター」を感じていた、といえるのではないか? 内実は全く関係無しに、眼鏡であることが重要となっているのだから。
これを足がかりにすると、眼鏡っ娘萌えとはつまりこういうことである。

まぁまぁ見なされ。眼鏡っ娘の顔を。
顔から生まれる、いろいろの情緒、ロマンチック、美しさ、激しさ、弱さ、あどけなさ、哀愁、そんなもの、眼鏡がみんな遮っている。
だがそれがいい

太宰治は「だがそれがいい」との逆転にこそ至らなかったが、戦前にあって既に眼鏡っ娘萌えの真髄に肉迫していた、と言えよう。
以前より、眼鏡っ娘萌えとは奇妙なものだと感じていた。「巨乳・童顔・ポニーテールのドジっ娘」だろうが、「ショートでスリム体形の胸はナシのクールビューティ」だろうが(参考文献「屈折リーベ」(asin:4592135989))、眼鏡をかけてさえいれば等しく萌えの対象となるのだから。
これはやはり太宰の指摘するように、眼鏡には顔から生まれるいろいろなもの=本来のキャラクターを遮る力があるから、なのだろう。