/「ガンダムX」試論(3)

無論、ファーストに呪縛されていない視聴者を排除していたわけではない。おそらく監督には、若い世代の視聴者は、周囲のゴチャゴチャにこだわらずにひたすらティファを求めて走り回るガロードに思い入れて欲しい、という狙いがあったのだろう。そのための主人公だ。だが、そこにもまたギャップがあった、と私は見る。当時の(そして今も)メインターゲットの層は、走るよりも悩みたい、と思っているのだ。二項対立でいうなら、「X」に描かれているのは「ニュータイプに呪縛された旧世代」対「呪縛されていない新世代」。だが、メインターゲットは実際には「呪縛されていない新世代」ではなく「ニュータイプ以外の、何かもっと明瞭な問題に悩み、呪縛されたい新世代」だったのである。
高松監督がそれに気付いていなかったとは思えない。「新機動戦記ガンダムW」の後半、実質的に監督を務めるなかでそうした手応えを感じていなかったわけがないのだ。にもかかわらず、あえて「呪縛されていない新世代」を求め、そうした主人公を描いてしまったのは……それはやはり、ファーストの呪縛の裏返しだったのであろう。
ともあれ、監督は己を呪縛から断ち切ることができた。下積み時代からずっとロボットアニメに携わってきた監督が、「X」の後は「こち亀」という天下のファミリーアニメを監督することになる。一方で「ガンダム」は、もうひとつの「X」……「クロスボーンガンダム」の原作を経た富野監督が、「過去のガンダム全肯定」をキーワードにしながらその実全否定をたくらんだ「∀ガンダム」へとつづいていったのである。(了)