/「ガンダム」を見る建築評論家

3月2日付「「ガンダム」を見ない自動車評論家」、3月3日付ガンダム車とガンダムデザイナーの意識」のつづき。「ガンダム」というデザイン評論用語が登場するのは、自動車評だけではない。建築の世界にもそれはみられる。こちらについては私もあまり詳しくないので、まずは基礎から、と先日別件で大宅文庫に行った折に関連記事を集めてみた。「建築+ガンダム」でざざっと検索してヒットした、最古の記事がこれなのだが…。

(『AERA』1992年1月28日号p50)
建てる▲ポスト・ガンダム
巨大なイオニア様式の円柱を中央に配置したグロテスクな建物が、東京・世田谷の環状8号線沿いにある。マツダ系列の新会社M2のオフィスとショールームで、若手建築家隈研吾氏の設計。
80年代、新しい建築で形が変わっているものは、なんでも「ポストモダン」と呼ばれた時期があった。だが、この建物はポストモダンとも違う。
流行に敏感な建築家や大手設計事務所バブル経済を追い風に、アメリカのポストモダンのコピーを大量に作り、単なるファッションにしてしまった。ますます恣意的に、過剰になったデザインの中には「ガンダム」と呼ばれるものも現れた。
ガンダム」は終わることのない戦いを描いた悲壮感漂うコミック。過剰な表現を続ける建築家の空しい行為と重なった。そしてバブル経済が崩壊した後に来るのは、この円柱建築のようなギャグの世界なのかもしれない。
(中崎隆司)

既に過去のものです、ガンダム建築。ガンダム建築がM2より前だというのは、なんだか重大な発見をしたようなそうでもないような。


2002年、M2ビルの他社への売却が決定したと聞いて、マクセルWS30というトイデジカメで撮影した画像。M2はさておき、『AERA』という一般誌でひょいと出てくるくらいだから、この時点で建築評論の界隈では既に「ガンダム」はある程度普及していたとみるべきなんでしょうな。あるいは、この中崎隆司が当時好んで用いた言葉だというだけかもしれませんが。
さて、建築はギャグの世界に足を踏み入れつつ、ガンダム建築もまた生きながらえました。矢作俊彦が『週刊ポスト』連載の「新ニッポン百景」で、第3景「祇園を席巻する「ガンダムビル」」(1993年1月29日号掲載)と第31回「『ガンダムZ』ビル」(1993年8月20日号掲載)の2度に渡りガンダム建築を取り上げています。

(「週刊ポスト」1993年8月20日号)
ずいぶん前、京都祇園の小路に芝庭の竹のようににょきにょき姿を現した「超」近代的ビルのことを「ガンダムビル」と書いた。

と、前年1月の『AERA』の記事では既に過去のものだった「ガンダム」を、矢作はあたかも自分が命名したかのように書いている。勉強不足だ、という話はさておき、ここらへんのガンダム建築は、それまでの建築の潮流を知らない矢作でもガンダムだと感じるくらいにガンダムだったと言えるでしょう。

ちょっと長くなったので、続きは次回のエントリで。

そーいえば、「ガンダムエース」とか全くノーチェックなんですが、そっち方面(つまりアニメ趣味誌サイド)から車なり建築なりへのアプローチってのはあったのだろうか。