トヨタ博物館でくろがね四起の事(〜文化財保護)を思う

先日見学したトヨタ博物館、企画展のテーマのひとつが「レストレーション(復元)」で、どのように方針を立て、どのように修復を進め、そして動態保存には何が必要か等について、始動要領書の書式例まで交えて詳細な解説を展示していた。

ここらへんの展示を見て「貴重なくろがね四起初期型をド素人、それも貧乏人の自己満足の犠牲にするな」という想いが一段と強くなった。ていうかオーナーは何故にあんな連中に預けてしまったのだ!? 産業文化財的な価値からすれば、大方の博物館が歓迎する車だろう。このトヨタ博物館ならばきっちりレストアしてくれる。あるいは日本自動車博物館。くろがね四起後期型を一台ぴかぴかの自走可能な状態にレストアした実績があるというのに、どうしてそこに預けないのだ(逆に言うと、館としては既に1台所蔵しているから2台目には手を伸ばしづらいかもしれないが)。

しかも貧乏なんだあの連中。あれがどうにも信用できないのは、人格とか志とかの問題以前にまず純粋に「お金が足りていないから」。とにかくそこに尽きる。

たかが……あえて「たかが」というけど非装甲の小型車両だよ? 戦前製で〜とか、一台しか現存せず〜とか言ったってさ、排気量1300ccで3人乗りのちっちゃな車ですぜ。パーツの大部分はワンオフの作り直しになるとしても、元が量産車なんだから量産可能なりの設計だろう。それに基本設計はさして変わらないはずの後期型は既に一台、日本自動車博物館に自走可能な状態であるのだから、「設計そのものに不明な部分があって手探り状態」というレベルではないはずだ。

現に見積もりはたかが……再びあえて「たかが」というけど1000万円だよ? 新車のレクサスLS1台より安い。その程度のレストアすら大々的に寄付を募らないと覚束ないなんて、信用しろというのが無理。まぁ「たかが」なので完成すればあとはさほどの維持費もかからないと思うが、名前を記すことを撒き餌に使ったからちゃんと展示・公開しないと寄付者への礼が果たせない。その展示施設の運営費はどうまかなうのか? 

面白くない話だけど、最近はもう「文化財保護はお金に余裕のある個人に任せるべき」だと思っている。南豆製氷所が解体に至るまでの約10年の紆余曲折を見てるとさ(簡単に書くと「解体されるかも」→「市として何とかしますが時間をください」→「じゃあ時間稼ぎで私が個人で買い取ります」→市が方針転換「お金出せません」→その後もギリギリで存続→しかし厳しくなった耐震基準に対応できずついに解体)。

もう20年も前になるのか、C62 3の動態保存の挫折なんてケースもあった。あれも「みんなで力を合わせて〜」式の文化財保存の挫折だ。
http://www.c623.npo-jp.net/2rail/230c623/c623main.htm
http://www.c623.npo-jp.net/2rail/230c623/231c623story/623-09.htm

その一方、個人博物館である日本自動車博物館や那珂川清流鉄道保存会(これは鉄道車両専門だが)は存続している。広く名の知られた名車だけでなく、珍車や希少車、「製造された当時はありふれた量産型だったために価値が認められていない車両」、とにもかくにも面白い車両をいくつも収蔵している。那須クラシックカー博物館なども見る価値のある個人博物館だ。まぁ一方で嵐山美術館のように、閉館して貴重な収蔵物が散らばってしまいそれぞれ悲惨な末路をたどったというケースもあるのだが、そこらへんを考えに入れても、

個人>公立(地方自治体及びそれに準じる団体)>>>>(越えられない壁)>>>>寄付無しでは成り立たない文化財保護

なのは論を待たないだろう。

もちろん国立博物館や、このトヨタ博物館のような企業博物館のほうが個人博物館より良いが、それぞれ認める価値の範囲が狭いからね。公立が個人の下位に来るのは、前述の伊東市のケースや大阪での「維新」のあれこれ、古くは「(同潤会大塚アパートは)一つの歴史を刻んだモニュメントなんだろうが、それに重きをなす人の情感はノスタルジーだと思う」(名前を打つのも忌々しいアレが都知事だった時の発言)等の前例を踏まえての事。