角館の武家屋敷街(2)

6月初めの東北旅行の話の続き。
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角館武家屋敷街で公開されている住宅のなかに、ひとつ異彩を放つ建物がある。

旧石黒(恵)家
ここ石黒家は昭和10年に設計され建設されていますが、その内容は近世角館武家住宅の形式から完全に脱却、当時の都会住宅が持ち込まれています。
すなわち、角館武家住宅にみられる玄関を持つ四間取りに類した接客空間と、それに接続する内玄関を持つ家族空間に対して、この住宅は両者を融合し、当時の時代背景のもとに計画され普及した住宅内容を持っています。それは明示後半から台頭し大正時代に主唱された新しい都市住宅であって、洋風を加味した和風住宅ですが、在来の和風住宅に西洋間を加え玄関を共通にして連続させています。それに客間や居間さらに家族用の茶の間、それに主婦室や子供室を独立させ、廊下によって連絡させるなどは、当時の角館における、いわゆる文化住宅の先駆を示しています。(坂田泉 工学博士)

現地にあった解説を転記した。

和洋折衷の応接間。現代の民家の一室といっても普通に通用しそうなムード。天井が漆喰塗り白く、照明の基部が円形に飾り塗りになっているのは、ろうそくで明かりを取っていた頃にわずかな光を反射させるためのものの名残りだという。

応接間以外にも、居間なども古さを感じさせないのだが、これはさすがに現代の家では考えられない浴室。とにかく小さい。タイルは当時の貴重な舶来品だ。水道が無い時代、水は井戸で汲んで桶で運び入れたという。

風呂釜(右端)とかまどが並ぶのも近代建築ならでは。
また、詳しいことはわからないものの、雨戸が無いという特徴も備えているという(全く無いのか、一部だけだったかは失念)。これについてガイドの方は、当地の気候を十分に考慮してこうしたのではないかとのこと。
そうそう、いかにも昭和らしい建物といえば(6月27日付)、武家屋敷通りの手前にこんなビルが建っていた。

昭和40年代前半に流行った回転レストランを最上階に備えている。後で調べたところ、これは角館プラザホテル。現在もレストラン部分は営業しているが、利用客の感想等をみるに回転はしていないとのこと。

この形で、まさか開業当時から回転していなかったとは思えないが……。あまり高くはないが、武家屋敷街を見晴らすにはこれくらいで十分なのだろう。

いかにも昭和らしい建物(くどい)をもうひとつ、かなり駅に近いあたりに建っていた元映画館。

いや、一見映画館のようで実は「平和劇湯」という銭湯だったかもしれない。
いつかは知らないがすでに閉館。ちょろっとググッたら、2000年5月撮影のレポートがあった。

秋田県角館・平和劇場
市内にある元映画館。本来ポスターを掲げるべきところに何も貼られてなかった。
それほど痛んでいる様子も無く、閉館して日は浅いのかも知れぬ。
昨今地方の映画館の経営が厳しく、閉館が相次いでいると聞く。
(2000.5)
http://homepage1.nifty.com/~ujaku/index/hai/heiwa.html

13年前に既に閉館していたという。そのまま取り壊されもせずに残っていることが驚きだ。いや、リンク先には「それほど痛んでいる様子も無く」と書かれているが……。

13年経った今もガラスなどは割れておらず、場の土へんが落ちていることを除けば今もあまり傷んだように見えない。つっても閉館になってからの耐久力が高くても仕方ない気がするが。

近代ネタが固まったので、ついでに角館駅前に展示されている動輪の写真も貼っておく。傍らの解説板にはこう書かれていた。

この車輪は大正十年(1921年)から生保内線「現在の田沢湖線」を走っていた蒸気機関車が使用していたものです。重量は3.5トン 寄贈団体は角館町の大正十年、十一年生まれの同窓生、二十八名「名称は十一会」昭和五十一年に秋田鉄道管理局に車輪を譲り受けるために約四百名の賛同署名を提出して実現しました。

…ってオイ。割とどうでもいい話をつらつら書き連ねて、肝心の機関車のナンバーは無いの!? 形式はどうやら9600形らしいが……。私蔵されていたとか屑鉄屋で回収されたとかでなく、秋田鉄道管理局所蔵だったのならきちんと管理されていただろうに、どうしてこんな基礎データが抜けてしまっているのだろう。