角館の武家屋敷街(1)

6月初めの東北旅行の話はまだ終わっていなかった!
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阿仁マタギ発12時14分の列車に乗って……そういや秋田内陸線って角館に向かって「下り」なのかと今さら気付いた……13時21分角館着。比立内〜(阿仁マタギ)〜松葉間は秋田内陸縦貫鉄道になった後の1989年に開業した区間で、比較的新しいローカル線にはよくあることだがトンネルが長く続く。山の中を走っているのに車窓が楽しめない、というのは観光路線としてはデメリットになるわけで、なかなか難しいものだと思う。

JRの角館駅秋田内陸縦貫鉄道のほうの駅舎は撮り忘れた。武家屋敷街観光の玄関口らしく、シックな和風のイメージ。新幹線(実は在来線)も止まる駅なのだが、季節が悪かったか時間のせいか、駅前は妙に静かだった。
駅から武家屋敷街まではけっこうな距離があるのでレンタサイクル利用を推奨。自転車を借りている間、無料で荷物を預かってくれるとのこと、割安感があって利用しやすい。私はというと、それとは知らずに荷物をコインロッカーにしまって、その後でレンタサイクルでの荷物預かりサービスを知り、なんだか悔しくて自転車も借りなかったので詳細はわからない。

事前の情報収集をしておらず、とにかく目に付いたところから見ていくことにした。これはメインストリート(いわゆる武家屋敷通り)ではなく、駅からだと手前に位置する「田町武家屋敷通り」の端にある西宮家。無料で見学できるのが何だか申し訳なく、気持ち程度の金額を寄付した。

「田町武家屋敷通り」の安藤醸造元本店。創業は嘉永六年だが、煉瓦蔵はもちろん明治時代のもの。現存する東北最古の煉瓦蔵だそうだ。

蔵の中まで見学できる。縁側には、白くて丸いものが荒縄に縛られ吊るされていたが、これが何なのかは不明。無料で見学できるのが何だか申し訳なく、実家へのお土産に醤油を購入した。

きりが無いのでちょっと飛ばして外町資料館「たてつ家」。建物自体もまず見応えがあるが、それに加えて、商家の暮らしに実際に用いられていた品々が展示されている。こんな落ち着いた雰囲気の中庭で休むこともできる。

無料で見学できるのが何だか申し訳なく、りんごサイダーを買って中庭で一服。

そしてようやく武家屋敷通りに到着。観光写真で見慣れた風景だが、実際に行ってみると城下町の道にあるまじき幅の広さに驚く。鉤の手も申し訳程度に一カ所あるだけで、まるで自動車の通行を前提としていたように幅広く真っ直ぐな道が続いている。

角館城下町の建設
蘆名氏の入部当時、角館の城下町は角館城の築かれていた小松山(現古城山)の北側の麓にあったが、狭隘な上に、水害や火災にしばしば見舞われたことから、1620年(元和6年)、現在の位置である古城山の南麓へ町を移転させた。現在地は、西の檜木内川が自然の堀となっており、北が丘陵地となり、東には小残丘が点在して、南にひらけ、南西側は檜木内川と玉川の合流点があって天然の要害をなしている。

新しい城下町では、道路の幅員を広げるとともに見通しを避ける工夫をこらし、下水を整備し、防火対策を施して武家地、町人地、寺社を配置した。防火対策としては、南北に細長い町を東西に貫く形で中央に土塁を築いた「火除け地」をつくり、その北側を武士の居住区である内町、南側を町人の居住地である外町とした。同年、一国一城令により、角館城は破却された。
 
(フリー百科事典ウィキペディア「角館」の項より)

どうやら延焼を防ぐ意図があってこの道幅になったらしい。それにしても1620年といえばやっとこさ徳川幕府の治世が落ち着いた頃と思えるのだが(大阪夏の陣が慶長20年(1615年))、もう軍事都市としての性格が薄らいでいることに興味を覚える。

公開されている武家屋敷はひととおり見てきたのだが、全ての写真をアップしていてはきりがないので、とりあえず「岩橋家」。

屋根は瓦葺きでなく「木羽葺き(こばぶき)」とのこと。縁台にその屋根材「ザグ(別名・木羽)」が展示してあった。杉の正目に沿って薄く割った板だという。

井戸小屋のようにも見える建物は……。

便所だった。古い建物には当然の作りなのだが、門から入って母屋よりも近い位置にご不浄が配してあるのはちょっと不思議な感じ。

「石黒家」は茅葺き屋根

300円という入館料がかかるが、その代わりガイドによる解説がある。ビルドインタイプの(とは言わなかったが)神棚やたんすは、この地方の武家屋敷の特徴だとのこと。

囲炉裏の上には当然というか、煙抜きの窓がある。ガラスは後年になってはめたもの。