岐阜羽島駅をめぐる「通説」

フリー百科事典ウィキペディア岐阜羽島駅」の項には、真っ先にこう書かれています。

駅前には地元の大物政治家・大野伴睦夫妻の銅像が立ち、ひところは政治駅の代名詞のようにも言われた。

「鉄道と政治」の項、「中山道ルートと岐阜羽島駅東海道新幹線) 」はさらに詳しい。

東海道新幹線の名古屋以西のルート選定に当たって、当初三重県を経由し鈴鹿山脈を直線で越える旧東海道沿いの計画(現在の新名神高速道路ルートに相当)から、在来線同様の関ヶ原米原駅経由の中山道ルートに変更された理由について、与党の有力者大野伴睦の意によって、中山道ルートに変更された上、わざわざ田圃の真中に岐阜羽島駅が建設された……としばしば誤解されることがある。

岐阜羽島駅大野伴睦の力で設置された「政治駅」、というのが現在の通説だといっていいでしょう。
ところが、『週刊朝日』1960年5月8日号に掲載された「本社記者座談会 政治線と赤字線 国鉄はこれでよいか」という記事には以下のようにあります。

C "羽島駅"では、大野伴睦が利用されたという説もあるな。羽島ははじめから予定されていたというのだ。そこで、伴睦が一番ありがたがるときに、花をもたせて、しぶしぶながらというゼスチュアで譲歩したというのだ。それを知らない伴睦は大喜びだ。「君には恩義があるから」ということで、運賃改正に手心を加えてもらう。(笑)
A 楢橋、十河の陰謀で、大野にドロをかぶせたというのは通説になっているね。

「という説もある」「〜というのだ」と伝聞形に留めてますが、後年の『戦後史開封』や 『「夢の超特急」走る! ー新幹線を作った男たち』は、同様の話を事実として取り上げています(私は未読なので「取り上げているらしい」という伝聞形になりますが)

戦後史開封

戦後史開封

「夢の超特急」、走る!―新幹線を作った男たち (文春文庫)

「夢の超特急」、走る!―新幹線を作った男たち (文春文庫)

事実性はさておき、気になるのが「通説になっている」です。この記事は東海道新幹線開業前、この頃の通説は「大野が作らせた政治駅だった」でなく、「楢橋、十河の陰謀で、大野にドロをかぶせた」のほうだった。それも、「事情通の間でささやかれている」レベルでなく、覆面座談会とはいえ朝日新聞社の本社記者が『週刊朝日』誌上で言ってしまうくらいの通説だった。

それがいつ覆ってしまったのでしょう?

推測はできます。まず、開業後の一般大衆の反応があるのだろう、と。岐阜羽島駅は田んぼの中、「やや、どうしてこんな所に駅が?」と当然ながら疑問を抱く。乗ってみるまでもなく路線図を見るだけでも、岐阜羽島前後の区間は在来線と遠く離れていますから、「どうしてこんな所に?」と疑問を抱くでしょう。

その疑問に「これは政治家のゴリ押しでできたんだよ。銅像だって立ってるよ」と言われたら、「なるほどね、政治家は汚いね」となり、それ以上考えなくなる。そういう反応をする人間が、開業前の通説を覆すほどに多かったがために「政治駅」といわれるようになった……ま、そんなところか。

答は短いほうがいい。

「嫌いな奴が勝手なことをしでかした」という答のほうが気持ちいい。

だから、「国鉄ははじめから設置を予定していたが、地元政治家が一番ありがたがるタイミングで、しぶしぶながら譲歩したかのように見せた」という長ったらしい説明でなく、「政治家のゴリ押し」というひと言の答を選んでしまうのでしょう。

結局は運輸大臣・楢橋と国鉄総裁・十河のたくらみどおりに「通説」は誘導され、大野は銅像が立てられて地元の英雄扱い。新幹線はきっちりオリンピックまでに開業し……って、あ、あれ? 結局は誰も損をしていないのか?

いやいや、それにしたって「エラい人の陰謀」どおりに大衆が誘導され、何の功績もない政治家が顕彰されるというのは気持ちのいい話ではありませんね。