非公認戦隊アキバレンジャー#2

制作会社もスタッフもメインスポンサーまで本家(公認様)と同じなのに、何が非公認なんだ? というツッコミは今さらだけど、せめて原作者の名前を「八毛三郎」とかパチもんぽくするくらいはやって欲しかった。

しかしまあ、気楽にいいかげんにセルフパロディをやるもんだと思っていていたが、がっつり真面目にセルフパロディに取り組んでるねえ。

そのせいで、ちょっと後戻りできないところに足突っ込んじゃった感がある。「妄想力」の設定、2話で掘り下げられた路線を進んでいくと、最終的には「いい歳して戦隊ものに夢中になってる大人」に対して何かしら明確なメッセージを発さなければならないぞ。

最後に出現したデカレッドは、「さて、これは本物? それとも妄想?」というジャブのような問いかけなんだろう。視聴者としては、現実の役者、偽者のデカレッドときて「ついに本物が現れた!」と拍手喝采だが、作品世界内の現実でいえば、あれは多分「あまりにも強力な妄想力が生み出した、現実にまで干渉する妄想」だ。

それを今後、登場人物たちはどう受け止めるか? 「妄想だって強く胸に抱けば、現実を変えることだってできるんだ!」と前向きな力として扱うか、それとも「行き過ぎた妄想はついに現実を浸食し始めた……」とネガティブに受け止めるのか。いずれにしてもストレートに、作品のメインターゲットである「いい歳して戦隊ものに夢中になってる大人」に突き刺さるはずだ。

純然たる子供向けであれば、「強い想いは現実だって変える!」というメッセージでなんも問題ないけれど、この作品の対象視聴者は、主人公の年齢からすれば20代後半以上、下のほうに幅をとってもマァ社会人だろう。そんないい大人を相手にとって、子供だましのメッセージではお茶を濁せまい。さりとて、「妄想を振り切って強く現実を生きろ」という健全なメッセージを込めたら、それは自らを否定することになってしまう。ならばと両方取って「妄想も大事、現実も大事」では腰砕けだ。

とまぁかなり面倒なんだけど、それでも何かしら明確なメッセージを発さなければならない。

普通にパロディならば「視聴者のみんなは分別ある大人で、ひと時の娯楽としてこーゆーのを見てるんだよね」程度の認識でよかったろうけど、間接的ながらも作品内でメインターゲットについて語っちゃったからね。「主人公」は「いい歳して戦隊ものに夢中になってる大人」で、それはニアイコール「テレビの前の大きなお友だち」だから。

さてさて、この自家中毒的パロディを一体どう締めるのやら。東映のお手並みを拝見したい。



もちろん、「「妄想は現実には勝てない」という前提を内包したドラマの中で、それでも「妄想力が勝つ現実」を描く」という無難な締め方はあるわけですが、結論がソレなら2話であそこまでやった意味が無いと思う。



蛇足。「ブラジル」はサラリーマンの物語だから妄想で勝って現実に負けたが、「バロン」は老人と子供の物語だから妄想で現実に勝てた。



もっと蛇足。「イタッシャー」が誤変換で「伊達者ー」になった。確かに伊達で乗る車ではある。
それにしてもイタッシャーロボの変型は見事だった。今ここで「あれはタカトミでトランスフォーマーを担当してた人がヘッドハンティングされて、バンダイに移って取り組んだ仕事で、2000円代の玩具でも完全変型できる設計になっている」とか思い付きの大ボラを吹いたら、うっかり信じる人もいるだろう。つか実際、変型後にも3人分の搭乗スペースがあるとか、バンダイやプレックスもしくは東映の仕事とは思えん。