「業平橋」に伝統は無い

そらまぁ、東武鉄道業平橋という駅名が生まれてから80年以上だから、それで十分な伝統だといえる。

伊勢物語の世界がイメージされる、というのも、マァそうだろう。

けれど、業平橋周辺が「在原業平ゆかりの土地」だというのは、間違いなのだ。これ、「捏造された歴史」などと煽ってもいいくらいで、実は全く無関係。

隅田川沿岸で在原業平ゆかりの土地といえば、白鬚のあたりなのである。「いざ言問わん都鳥」の歌が出てくる場面ね。あれは「言問橋」のあたりのことと思ってしまうが、もっと北なのだ。

なのに何故「言問橋」が「言問橋」なのか? wikipediaにはこうある。

有力な説としては、1871年明治4年)の創業でこの地に現在もある言問団子の主人が団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名づけ、人気の店となったことからこの近辺が俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことに由来するというものがある。

団子屋がちゃっかり「なんとなく隅田川関係の話」だった業平のイメージを借りて団子を名付けた。その言問団子→言問ケ岡にちなんで、橋の名前も言問橋になった……という、伝統もへったくれもない商売ショーバイな由来なのである。これは『考証・江戸を歩く』という本にも書かれているという(未読)。

考証・江戸を歩く

考証・江戸を歩く

「業平」という地名は、この団子屋が業平を祀った神社に由来する、と捉えるのが自然だろう。「業平」は、団子屋からさらに南の一帯。本来の在原業平ゆかりの土地からは、あまりにも遠く離れている。

とうきょうスカイツリー」という駅名は確かにダサく、「業平橋」という駅名はカッコいい。私などにとっては、あの広大な貨物駅を思い出すことができる素敵な名前だ。「伊勢物語の世界がイメージされる」ことも否定しない。

けれども、「在原業平ゆかりの土地だ、歴史ある地名だ」という連中は嘲ってやりたい。元をただせば団子屋のこじつけなのに、何を有り難がってるんだ? と。何も考えずに(なのに考えたふうを装って)「伝統」を崇拝する態度は、「とうきょうスカイツリー」を有り難がる無節操と変わらない。




……と書き上げた後で念のため調べてみたら、どうも言問団子よりはるか以前から業平という地名はあったらしい。当地にはかつて業平天神祠があったという。天神様は江戸名所図会にも描かれている。
一応言い訳すると、このエントリの発端である東武鉄道のサイトに、とうきょうスカイツリー(旧 業平橋)駅のプロフィールとしてこう書かれているのだ。

駅名の由来
平安時代藤原氏摂関政治の下で、歌人在原業平は官位を取り上げられ無官の時期が10年も続きました。業平はこの時期に諸国を放浪し、東国滞留は数年におよびました。隅田川の渡船で業平が詠んだ歌は、江戸時代になり隅田川に架かる橋を詠唱の「言問わん」から言問橋と名付け、業平が遊歴彷徨した故事を偲び、地名・橋名から名付けられたものと思われるのが旧駅名の「業平橋」です。
http://railway.tobu.co.jp/guide/station/info/1103.html

文脈がムチャクチャなのはさておくとして、これを読んだものだから言問橋の後に業平橋と名付けられたと思ってしまったのだった(読み返せば、「江戸時代になり〜言問橋と名付け」あたりでもう信じてはならないと判断すべき記事だったな、これ)。
「業平が遊歴彷徨した故事を偲び、地名・橋名から名付けられた」といい、天神様には一言も触れてないのだが、普通に考えれば「業平天神があるから業平という地名になり、業平に架かる橋だから業平橋と名付けられ、そこに近い駅だから業平橋駅」だろう。