「フラクタル」2巻

うっは、こりゃダメだわ。

フラクタル(2) (ガンガンコミックスONLINE)

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と、まずは一言書かずにおれない「フラクタル」2巻。

1巻の感想として「作り手たちが、自分たちの作品の世界観を把握してなかったんじゃないでしょうか」と書いたけれど、あれはあくまでディテールやムードの話だった。

2巻はそれどころでない。

作り手たちはどうも、設定の根本からわかっていないらしい……。自分たちの作品だろうに、何故だ?

この巻では、フラクタルシステムの真実の一端が明かされる。…… 一年に一度行われる「星祭り」と呼ばれる儀式、それは人々を洗脳し、システムに疑問を持たないようにする処置だった。人々は自身知らぬ間に、僧院と呼ばれる組織によって支配されていたのだ…! ……てな感じ。

アホか。

こんな設定、成り立たないでしょ。ごく簡単なツッコミ、「洗脳して統制して支配して、じゃあ支配者は何を得られるの?」。

だって、被支配者は働かなくてもいいんだぜ? だからまず、支配者は労働力や生産物を得ることができない。被支配者の義務と言えばお祈り(ライフログの送信)だけ。ファンタジーなら「人々の信仰心がエネルギーになっている」でもいいけど(そういや『かんなぎ』のナギ様はそんな設定だったね)、フラクタルシステムはあいにくコンピュータの集合体だ。祈りだけで動くものではあるまい。そもそも私腹を肥やしているのはシステム自体ではなくその管理者で、彼らには一体何のメリットがあるのか? 得るものが無いばかりか、システム管理という仕事をしなければならないのだ。支配者であるほうが、かえってデメリットが大きいじゃん。

大体、人々をことさら洗脳する必要もないのだ。

フラクタルターミナルを体内に埋め込みさえすれば、義務は唯一毎日の祈りだけ。勤労の義務はないし、働いてもいい。プリズナーNo.6』の村のような軟禁状態でもなく、どこで生活してもいいときたもんだ。
だったら洗脳されるまでもなく、フラクタルシステム支配下の生活を選ぶっての。支配下の不自由やデメリットを全くといっていいほど描いていないから、偏屈そうな老人が「お前たちは本当の自由を知らない」と言っても空疎に響くのである。

物語に突破口があるとすれば、「皆は「洗脳されるまでもなく支配下の生活を選ぶ」けれど、ただ1人主人公だけは「でも何かが違うよ」と心が騒ぎ、時代を乗り越えていく」(パワーオン!)って方向がある。1巻の感想に書いたとおり、基本設定で既に「信仰と自己決定(依存と自律)」という二項対立が膳立ててあるのだ。そこへもって「グラニッツの村」や洗脳の設定は蛇足というほかなく、物語の発展性をかえって閉ざしている。

もうひとつ、「非身体と身体」という二項対立の扱いもおざなりだ。2巻に出てくる食事の描写や死の描写からは、「身体性の回復」というテーマへのアプローチが感じられるが、それらは思い付きのようにポンと出てくるだけ。物語に抑揚がない。ドッペルを持たず、実体のまま生活している主人公が、ドッペルを持たず、実体のまま生活している人々に出会ったり、ドッペルでない生身の死に遭遇したって、たいしたドラマが生まれるはずも無い。そうした場面には、対比されるべき「ドッペルを持っている一般の人」が必要だと気づかなかったのだろうか?

別のテーマをピックアップするなら、「自由も平和も満たされた生活も実は虚像だった」という「現実崩壊の危機意識」あたりか。ここらへんは新鮮みはない一方、普通に扱うだけで並の作品になりそうなものだが、なんというかマァ着想も描写も整合性も、過去の作品のどれよりも『フラクタル』は劣っている。

メガゾーン23』はどうにも青臭くて設定が大仕掛け過ぎてぞんざいで昔っから大嫌いなんだけど、あの「今いるこの街も、あのアイドルも実は虚像なんだ」という気分と、「目の前にいるこの娘だけはせめて虚像で無いと思いたい」という想いを映したべッドシーンは、そういうものとして認めたいと思っている。『フラクタル』はその域にさえ達していない。

これが週刊連載マンガとかなら、話が進むうちに元の設定と整合が取れなくなるとか、後から付け加えたテーマのほうが重要になるとか、そんなケースはざらにあるから気にしない、気にしちゃいけない。でもこの原作って、素人でもない沢山の大人が寄り集まって出来た話なんだよね。放映前にかなりの準備期間を割いて。どうしてこんなものになってしまったんだろう……。