斎藤智裕『KAGEROU』

「おばあちゃんが言っていた。馬には乗ってみよ、本は読んでみよってな!」
というわけで。明らかに未読の連中までもが好き勝手ボロクソ言ってることに少々腹を立て、買っちゃいましたよ『KAGEROU』。

KAGEROU

KAGEROU

感想はまぁ、「巷の酷評ほどは酷くない」ってなとこです。アマチュアにしては十分に巧い、というレベル。最初に「ゴーストライターを使わずに書いたことに好感が持てる」と評した人は見事だと思う。
核になるアイデアは決して悪いものではありません。「人生に絶望し、自殺しようとした中年男の前に、裏の世界で臓器売買を扱う男が現れる」というもので、梶尾真治のごく初期の短編「もう一人のチャーリイ・ゴードン」を10倍に希釈して、その断片をのして伸ばして長編に仕立て上げたという感じです。
プロットも洗練されており、始まりから始まっておしまいまで行ってそこで終わる、整然としたもの。整然としていながら、しかし10割予想可能な予定調和の世界ではなく、フェイクやミスリードも含め意外な展開が所々で見られるので、退屈することはありません。
いかにもアマチュアらしいダメっぷりといえば「語りの視点」と描写の不一致。三人称小説でありながら、地の文の描写がたとえば

そんなヤスオのぶざまな姿は、まるで短い生命の終わりを迎えたセミのように弱弱しくノロノロとしていた。

といった具合。「神の視点」なのに、人格のある描写が多々見られるのです。「まるで〜のようだ」という描写は、誰かがそれを見て「そう思った」ということだから、三人称小説ではやらないのが原則なのね。その原則を踏まえて、あえて外すというテクニックもあるけど(読者の没入感を増すことができる)、マァ多分そこまで考えてない。そもそも「ぶざまな姿は・ノロノロとしていた」って文脈からしておかしいし。
ただ、その描写の稚拙さが目立つのは導入部だけで、話が進むにつれ見られなくなります。というのは、二人の登場人物がそろうと、あとはひたすら会話続きで地の文が無くなるから(笑)。
最大の問題はキャラクターの不整合で、場面場面で主人公のキャラが微妙に違っていて、トータルな主人公像が結べない。プロット先行だからか、「こういう会話を書きたい」という思いを優先したからか、いずれにせよアマチュア的です。
というわけで、冒頭「巷の酷評ほどは酷くない」と書いたものの、じゃあ人に薦められるかと問われればきっぱりNO。作家斎藤智裕の次回作に期待できるかと問われても、やっぱりNO。先にあげたような「語りの視点と描写の不一致」とか「文脈の不整合」といった、基礎中の基礎を正してもらえないまま世に出ているからね。編集部には小説家として育てる気など毛頭無いのでしょう。そういう意味では、本気で小説家を目指しているらしい当人にとって、かえって気の毒なデビューだったといえそうです。

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ちなみに11日にはこんなのが発売されてましたが、特に便乗とか連動とか言うわけでは無いでしょう。