上前だけをはねる道具としてのiナントカ

借りぐらしのアリエッティ」が良い感じで不評なので、久々に劇場でジブリアニメを観ようかと予習していたら、宮崎駿によるipad批判のニュースに行き着いた。

孫引きは気が引けるので、あれこれブッチ切っていきなり今回の私の話の要点を書くと、「ウェブブラウズツールで全能感を得ている人は、「調べる」という行為に対する関心や共感とも無縁である」という話。

くだんの宮崎発言は、「雰囲気」「共感」「想像力」といった感覚的な発言ばかりが注目されがちですが、私はそこより前、ウェブで得られる情報よりも「八王子の信松院にある武田の安宅の模型や船の科学館の模型の方がずっとまし」「他のいろんな記録や文書から推測するしかない」のほうに注目します。

「ウェブで得られる情報や取り寄せられる文献なんて、実は大したもんじゃない。だから自分で出かけていって調べるしかない」、ということです。出かけるべき先は「現地」に限らない。資料館や図書館だって、自分で出かけていくことには大きな意味がある。行為の問題ではなく、得られる情報の濃密さにおいて、です。そこから分かってない人が多いのではないでしょうか。そういう人は単にものを知らないだけでなく、他人の、「ウェブに依らずに調べる」という行為に対して共感を持てないし、その成果の価値も分からずにいるのではないか?

自分の話でいうなら、宮北自動車整備工場という近代建築の概要。とあるサイトおよびブログに「1928年に若柳公会堂として作られた建物で、その後映画館に転用され、1970年代中期に自動車整備工場になったという経緯のようです」てな調子で、私の調査結果(「明日は昨日の為にある」2005年1月24日付)がぞんざいに引用されている(リンクも出典の表記も無し)のは正直すげぇムカつきます。しかも「とり急ぎ調べた範囲では」とかぬかしやがる。私の場合、夜行列車に乗って仙台へ行って、そこから地下鉄の終点まで行って、さらにバスで30分かけて宮城県立図書館まで行って、館内ではあれやこれやと1時間強かけて資料をあたったのですが…。「とり急ぎ」でそれと同等の答えに行き着くとは、よほど優れた調査能力の持ち主なんでしょうなあ。やあ羨ましい。

なんていうかな、こういう人はやはり「調べる」という行為に対する共感が無いんでしょう。だから上前だけはねて恥じることが無い。

もちろん、この人は本当に優れた調査能力の持ち主で、とり急ぎしかるべき図書館に足を運び、とり急ぎ調べたという可能性も否定できません(置かれてる場所が限られているだけで、大した資料ではないし)。でもね、本当に調べてたら「1970年代中期に」自動車整備工場になったなんて書くはずがない。私が「1974年以前」と書いたのを勘違いしたのでしょうね。これは「1974年刊の「若柳町史」に自動車工場になってしまったと書かれているからそれ以前」という意味であって、ひょっとすると60年代かもしれないのです。もしも何か、私のみてない資料に「1970年代中期」と書かれていたとしたら、町史の記述と合わせて1974年に特定できて喜ばしいんですが(70年代中期が1973〜76年だというなら1973年の可能性もあるが、だとしても「1973年か74年」)、ま、そんなわけはないでしょう。

自分で出かけずに他人の上前をはねていると、そのうえ小賢しく言い回しを変えて丸パクリを回避したつもりでいると、思わぬ間違いを犯すという例です。私は相手の人権を無視して言ってもいいのかな? 「あなたには調べられません」と。

ただ私は一方、「ウェブ上に公開した情報は、公開した時点で不特定多数の共有物である」という考え方も、基本的には支持しています。しかし共有物だからこそ、引用する場合には出典とのリンクが必須だとも考えている。最低限リンクを張るだけでも相互性が生じますから、「上前だけをはねる」そしりは免れましょう。