パクリ考と若柳公会堂

(前回からのつづき)
パクリに対して怒りを覚えるのは、つまるところ「掛けた手間に対して敬意を払われていないから」。一般論でなく、私自身がパクられた場合の話ね。

だから全く手間をかけていない、思いつきの垂れ流しに過ぎないツイートのパクリに対しては、実はさほどの怒りは感じていない。パクリ主には確かに他人への敬意が欠けているが、それよりも自尊心の欠如こそが問題だろう。

だから「行きました、撮りました」に過ぎないモルガの写真のパクリに対しては、さほどの怒りは感じない。 (まぁ、自動車とのサイズ差がわかるように現地で構図をはかって、写真に必要な要素が切れないよう収めるために十分な距離を取って、わざわざ植え込みの後ろにまで回り込んだりはしてるんですけどね! それくらいは手間じゃないですから!!)

だから、私が著作権者ではないにもかかわらず、エアカーの画像のパクリは腹立たしい。前述のとおり、ちょろちょろと手間をかけているからだ。

……だから、狭義のパクリではないケースとはいえ、手間をかけて調べた結果をサラッと掠め盗られたことには身震いするほど腹が立つ。
前に一度書いたことだから(2010年7月23日付)そこからパク…じゃなくて再掲しよう。

宮北自動車整備工場という近代建築の概要。とあるサイトおよびブログに「1928年に若柳公会堂として作られた建物で、その後映画館に転用され、1970年代中期に自動車整備工場になったという経緯のようです」てな調子で、私の調査結果(「明日は昨日の為にある」2005年1月24日付)がぞんざいに引用されている(リンクも出典の表記も無し)のは正直すげぇムカつきます。
 
しかも「とり急ぎ調べた範囲では」とかぬかしやがる。私の場合、夜行列車に乗って仙台へ行って、そこから地下鉄の終点まで行って、さらにバスで30分かけて宮城県立図書館まで行って、館内ではあれやこれやと1時間強かけて資料をあたったのですが…。「とり急ぎ」でそれと同等の答えに行き着くとは、よほど優れた調査能力の持ち主なんでしょうなあ。やあ羨ましい。

今の私には都内で、それこそとり急ぎで調べるノウハウがありますが、それにしたって有栖川公園へのお出かけは必須です。この時は遠慮してURLもサイト名も書きませんでしたが今回は書いてしまおう。

鉄道のある風景weblog 2010年07月21日付「紹介>宮城県柳町
http://blog.livedoor.jp/nekosuki600/archives/51724355.html

輪をかけて酷いのは、自分の記事と主張したいのか変に手を加えていること。パクるならパクるで、そのまま書くかちゃんと読み解くかすりゃいいのに、訳も分からず変えているから結果的に誤った情報の発信になってしまっている。

本当に調べてたら「1970年代中期に」自動車整備工場になったなんて書くはずがない。私が「1974年以前」と書いたのを勘違いしたのでしょうね。これは「1974年刊の「若柳町史」に自動車工場になってしまったと書かれているからそれ以前」という意味であって、ひょっとすると60年代かもしれないのです。
(略)
自分で出かけずに他人の上前をはねていると、そのうえ小賢しく言い回しを変えて丸パクリを回避したつもりでいると、思わぬ間違いを犯すという例です。

パクリの連鎖というべきか、「鉄道のある風景」の記事を鵜呑みにして(これまた出典を明示せずに)丸写しにして、同じ間違いを犯しているサイトも見つけました。

■宮北自動車整備工場(旧若柳公会堂)
昭和 3(1928)年
宮城県栗原市若柳字川北古川5 022-***-****
大規模な看板建築。入口部に派手な飾りを持つ。1928年に若柳公会堂として作られた建物で、その後映画館に転用され、1970年代中期に自動車整備工場になったという経緯
 
『遊楽亭日乗−近代建築編−』「【宮城県栗原市
http://yurakuteinichijyo.blogspot.jp/2011/08/blog-post_2929.html

元の「鉄道のある風景」にはまだ一かけらの遠慮があったのか「経緯のようです」と伝聞にしていたのに、コイツは「のようです」を取っ払いやがりました。まるで伝言ゲームのように、パクリのパクリでどんどん劣化していってます。
(書くべき出典は書かない一方、書いてはならない(商売とは無関係なのだから記載を遠慮すべき)電話番号は書いちゃうとか、なんかこの人怖い……) 
唐沢俊一佐野眞一のような「取材の手間がわかっているくせにパクる」人間はもちろん悪質だけど、前回今回と列挙したような、「そもそも他人が掛けた手間に対して想像力が働いていないカジュアルなパクリ」のほうが問題として根が深いのではないでしょうか? わかっていてパクるケースと違って、わからずにパクる人には抑制が働かないからです。彼らにはなぜパクリが悪いのかが理解できないでしょう。



といったパクリ考をマクラにして、ここからが本題。えー、わかりました、いつのことか。

まず旧若柳公会堂、宮北自動車整備工場の現状ですが、東日本大震災の被害により2011年に解体されたとのこと。非常に残念ではありますが、相手が天災ではやむを得ません。

「レトロな街並み 若柳」
(略)
若柳ドリームパルのすぐ近くに古めかしい看板建築の建物があります。看板建築とは何ぞや??と思う方もいらっしゃるかもしれませんので,少し説明を…。看板建築とは,建物前面を平坦としてモルタルや銅板で仕上げて装飾をつけた建築物で,関東大震災後に商店などに用いられた建築様式です。江戸時代の商店では,軒が大きく張り出した建築方法が主流でしたが,震災後に実施された土地区画整理事業の影響や西洋的なデザイン嗜好の高まりなどによって,震災復興の過程で大きく普及したと言われています。
 若柳に現存する看板建築は,昭和2年に若柳公会堂として建設されたもので,その後映画館として使用されていました。そして現在も,自動車整備工場として使用されています。ノスタルジックな雰囲気を醸し出しつつも,現役で使用されているというのが素晴らしいなと思います。
(略)
※1番目に紹介されている旧若柳公会堂は,東日本大震災で被害を受け,平成23年4月中旬に解体されました。
 
宮城県・栗原地域観光情報
http://www.pref.miyagi.lg.jp/site/kurihara-saightseeing/column15.html

いつ書かれた記事かはわかりませんが、このように県のウェブサイトでも紹介されており、私が訪ねた頃に比べてずいぶん注目度が高まった(高まっていた)ようです。ところで「昭和2年に建設」となっていますが『若柳町史』には昭和3年建設と書かれていたはず……。建設開始から完成までに年をまたいだのでしょうか?
そして注目すべきはこちらのサイト。

昭和3(1928)年頃に公会堂として建設。 後に映画館に転用されましたが昭和38(1963)年に閉館し、以後は自動車整備工場として使われていました。 東日本大震災で被災し2011年04月に解体。 宮城県栗原市(若柳町)川北古川5 08年04月中旬
※現存せず。
  
『建築ノスタルジア』2012-03-12付 「旧若柳公会堂」
http://blog.goo.ne.jp/es_february/e/5650c42bfbb53b32aedc28d63963095d

「昭和38(1963)年に閉館」と明記されています。情報の出所が書かれておらず、ひょっとすると私のケースと同様の問題をはらんでいるかもなのですが、さすがに根拠無しでこうは書けないでしょう。

県のサイトが取り上げ、個人のブログでもこうした情報が掲載されるということは、少なくとも歴史に関しては基礎的な再調査が行われたものと思われます。であるなら、改めて調べればどこかに詳細がまとめられているのを見つけられるでしょう。
 
そういえば竣工年については昭和元年という情報もありますが、あれはまぁ現地での近隣住民からの聞き取りによると書かれていたので……。まぁナンというか出典の明示には、情報の確度を判断するための材料、という意味もあるってことで(奥歯にモノが挟まっている)。

OKDランドスケープギャラリー>近代建築>宮城>宮北自動車整備工場>解説
http://www.geocities.jp/okdokdok/Contents/miyagi/MiyagiArch.html
http://www.geocities.jp/okdokdok/Contents/miyagi/MiyagiEX/Waka.html

竣工年の件はさておき(さておくのか)解説は大変面白いです。