新型エンジンよりもマッハ号が欲しい

カートゥーンネットワークで、先日からまた「マッハGo Go Go」が第1話から始まったので視聴している。先日、マンガ版を読み返したときからその基本設定に違和感を抱いていたんですが、やはりアニメからして奇妙な話になってました。

大手自動車メーカーに勤務するベテランエンジニア三船大助は画期的な新型エンジンを設計するも、社内プレゼンに失敗して試作に進むことさえ許されなかった。それに怒った三船は退社・独立して整備工場を開き、その傍らにエンジンを作り上げることにする。だがそれには資金が足りない。そこで大助の息子、三船剛はレーサーとなって賞金を稼ぎ、父の夢のエンジンの実現を助けるのだった。

というのが第1〜2話のあらすじ。
これだけなら格別おかしなところはない、なかなかに面白い物語が展開しそうなプロローグですが、実はここでマッハ号の存在が大問題になる。物語が始まった時点で既にマッハ号が存在してるのよ。「三船が設計した」という以上の説明は無しに、剛のマイカーとして。
このマッハ号、素人同然の剛がデビュー戦でいきなり1位でゴールできるほど高性能で、「新型エンジン要らないんじゃ?」という気になる(一応、新型エンジンはこれ以上の性能、という台詞も一言あるんだけどね)。
しかもマッハ号は単に速いだけじゃありません。ABCDEFGの7つ道具で、地割れの上も悪路でも、森の中でも闇夜でも、水中さえも走っていけるという夢の車です。
こんなウルトラスーパーカーが何の説明も無く、あらかじめ存在している。
マッハ号が作れるくらいならエンジンのひとつなんて簡単に作れるでしょ?
つか、モノになるかわからない新型エンジンよりも、実用化されているマッハ号のほうがずっと価値がある。なのに産業スパイが奪いにくるのは新型エンジンの設計図のほうで、マッハ号には目もくれない三四郎
つまりですね、マッハ号があまりに凄すぎて、新型エンジンが霞んでしまっているのですよ。なのに劇中の登場人物は血眼で争奪戦を演じるからナンセンスとさえ思えてしまう。
物語の基本設定は良いし、主役メカも魅力たっぷりなのに、その主役メカの存在が基本設定をぶち壊しにしているというなんとも不思議な作品です。「スピード・レーサー」はどうなんだろ? マッハ6のエンジンがくだんの新型なんでしょうか?

ちなみにアニメではエンジン位置は設定書どおりフロント側。第1話でいきなりボンネットを開けての整備シーンがあります。


で、こっちがマンガ版(参考:2008年11月13日付エントリ)。アニメでの整備シーンと見比べると、「吉田竜夫はなぜ設定に忠実に描かなかったのか」という疑問が一際強くなります。特徴的なフロント部とむき出しのエンジンとをワンカットではっきり見せたかった?