ギャグマンガ家が見る同業者

今年2月に後藤寿庵の14年ぶり! の新刊が発売されていたそうだ。ただしその新刊は純然たるエロ漫画(「シャーリィホームズ」にも黄色い楕円形が付いてたけどね)で、往年のナンセンス・ギャグの冴えを知る者としては、いささか寂しい思いだ。
「1ページ全く関係の無いシーンが挿入されている間に何かすごいことが起きている必殺技」を筆頭にした全く意表を突くアイデア、有名作品の名シーンを大胆に取り入れてナンセンス化するパロディ、そして何よりテンポがいい。『刑事たちの挽歌』などはいま読み返してみても、そのテンポのよさについ引き込まれてしまう……絵の粗さがかなりキツイけど(苦笑)。

この機にすこしググってみたら、後藤寿庵という漫画家の変容について、他ならぬご本人が言及されていた。このブログでエロ漫画家としての後藤寿庵について触れたエントリから、さらに1年ばかり遡ったものだ。
http://juan.cocolog-nifty.com/juanlog/2005/09/post_8fc1.html
上のリンク先の記述で興味深いのは、やはりZERRY藤尾作品に対する言及。私はZERRY藤尾作品というと2度3度目にしただけだが、ううむ、その際には往年の後藤寿庵作品に通底するものは全く感じなかった。まぁ、後藤寿庵本人をして負けたと思わせる何かがあるのだから、私の如きが「感じなかった」もへったくれもないのだが。

ともあれ漫画家の、他の漫画家に対する言及というのは集めてみるとかなり面白そうだ。例えば吾妻ひでお。以前このブログで取り上げたとおり、鴨川つばめのマンガは「わからない」という。

じつはオレ、鴨川つばめさんって全然理解できない(笑)。なんか、突然に変身したりするけど、これどういう意味があるんだろうって(笑)。どういう必然性があるんだろうって、そこに意味を求めちゃう。オレ、鴨川さんの作品で笑ったことないんだよね。
(『逃亡日記』asin:4537254653 p175)

「いや、傍目にはそこらへん五十歩百歩だから」とツッコミたくなるが、先日購入した『チョコレートデリンジャー』(asin:4883792579)のあとがきでは自作を読み返してこう言っていた。

意味判らん。
3回読み返してようやくギャグをやってたんだな〜となんとなく理解できました。

…今になって自分の作品がどんなものかわかったのか。
 
後藤寿庵が過去作を「思いつきの垂れ流し」と言い、吾妻ひでおは「中身が濃いというより独り善がりで説明不足」と言う。そうした系譜の漫画家で今最も気がかりなのは、竹内元紀だ。

シスター・ルカは祈らないで!! 1 (角川コミックス・エース 85-9)

シスター・ルカは祈らないで!! 1 (角川コミックス・エース 85-9)

なんというか、危うい。「1話1話のまとまり」を価値として評価すると、実はその点は「リアン」から「春日部さん」「シスター・ルカ」とだんだん後退している。その代わりに増しているのが「勢い」で、各話の出来にばらつきはあれど、総じて「話は破綻しているけど勢いがあって、意表を突かれてつい笑っちゃう」ナンセンスが前面に出ている。それが悪いとはいわないけれど、ギャグ以外の分野だったら、作家の成長のプロセスとしては逆だよね。どうしたって気がかりだ。

その竹内元紀と、『少年エース』誌が何故かワンセットにしているのが天津冴。かつて「春日部さん」2巻(asin:4047138215)と「まるごと♥杏樹学園」1巻(asin:4047138223)とで連動キャンペーンを打ち出したが、いま再び「シスター・ルカ」1巻と「くらくらく〜」1巻で同様のキャンペーンを展開している。
私は、以前のキャンペーンまで天津冴という作家のことは全く知らず、「まぁ竹内元紀と同系列なのだろう」とそのキャンペーンに際して中身も見ずに購入したところ、いやはや困ったことに全く面白くない。控えめに言うと、「竹内元紀とは全く性質を異にする作家」だった。
ただ、あの「新しいアイデアが無いベタさ」「テンプレにはまった人物造形」「全て予想通りに収まる話展開」は、一面では読者に安心感を与え、作品を安定感あるものにしているな、とも感じられた。安定感、それこそが竹内元紀に欠けているものだ。
編集部がワンセットにしているのも故無きことではないだろうし、作家もそれぞれ何かしら影響を与え合うのではないか? と思う。竹内元紀には今後も注目したい。