知のリソースの有効活用

だから1月23日付エントリの論旨は「共同出版には実は知のリソースとしての価値がある、少なくともリソースとなりうる可能性があるのだから、有効に活用しましょうよ」ってことで。
でもそれをストレートに、「知のリソースの有効活用」と書いちゃうと、なんかインテリ臭くて鼻持ちならない印象になるから「面白い本」とか「マイナージャンルの同人誌」とか、柔らかい言葉で冗談めかして書いてたわけですよ。
それがまぁ、その言葉尻につかまって「同人誌は同人誌即売会で楽しむ。同人誌専門通販サイトで購入する。それでいいではありませんか」とか主張されても、相手のしようがありません。
つか、例えば「国鉄末期の状況を労組内側の視点から書いた本は無いかなー」とか「松山基範についてまとまった本って無いかな?」とか「シベリア抑留についてなるべくたくさんの体験記が読みたいんだけど」いう人間相手に「それなら同人誌即売会に行けば?」と答えるんですかね。共同出版でどういう本が出ているのか、一体どれほど把握してあれを書いたのだろうかと疑問に思います。
まぁ「住み分けるべき」と主張するのは勝手だけど、そんな主張を持とうと現に共同出版は存在するし、その主張によって消すこともできない。
マックのチーズバーガーを売るフランス料理店は存在しないし、草野球の全国ネットの試合中継も無い。ましてプロ野球の代わりに草野球を放送するTV局なんてあるはずが無い。
だが、どんなに蔑もうと、どんなに嫌おうと、どんな呪いの言葉を吐きかけようと、共同出版は現にあるし、そうした本は現に書店に並んでいる。ならば有効に使おうと、ただそれだけだったのに、いやまぁ私の「話を伝える力」は、よほど乏しいのでしょうな……(まぁ、積極的に共同出版の肩を持つ気が無く、一歩引いた位置から有用性――有用になる可能性――を語っているから伝わりにくいのでしょう)