9月の四国旅行についてのエントリはこちらからどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150922#p1
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明けて9月20日、四国旅行2日目。この日も5時過ぎに起きて始発列車に乗る。昨日さんざん歩き回ったというのにタフなものだと自分でも思う。
高松発6:04の特急しまんと、車両はJR四国2000系。走り出すと、ちょっとしたカーブでも車体が盛大に傾いて、ああこれは振り子式車両だったなと思い出す。
箸蔵〜佃間で吉野川を渡る。この先、吉野川としばらく並行して走ることになる。私は進行方向右側の席に座ったが、どうも左側のほうが眺めがよかったようだ。
そして大歩危駅着。5月に見学に行った東京都文京区の銭湯、「月の湯」の……。
ペンキ絵の画題がなぜか大歩危峡で、以来私にとって宿題だったのである。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150510
しかし、「駅は川沿いにある」という以上の事前情報が無く、ここでもまた闇雲に歩くことになるのであった。
大歩危駅を見下ろす。地図と見比べればお分かりいただけるだろう、このとき私は道に迷っていたのである。
閑話休題。
道すがら、私の中の石碑センサーが反応。これについてはタイトルを区切って後ほど。
道すがら、私の中の古看板センサーが反応。こんなことやってるからいつまでも渓谷にたどりつかない。
「淡路へ海上18分
鳴門海峡フェリー
最短コース
鳴門公園下亀浦港 電話(鳴門)4713」
電話番号に市内局番が書かれていないのが目を引く。自動交換で無かった頃か。
「鳴門海峡フェリー」でググると、ウィキペディア「淡路フェリーボート」の項がヒットした。
(略)
淡路島 - 四国航路
1965年(昭和40年)4月に鳴門海峡フェリーが淡路・阿那賀港 - 鳴門・亀浦港航路(6km)の運航を開始。10月に淡路フェリーボートと合併した。
(略)
合併後も「鳴門海峡フェリー」と称した可能性ももちろんあるが、この看板は1965年に設置されたと推測される。
とりあえず「道の駅 大歩危」に到着。だがこのあたりは川べりまで降りることができず、さらに北へと向かう。
橋を渡ったあたりから川べりに整備された遊歩道が見え始め、ドライブイン的な建物に到着した。これが観光遊覧船(川下り)の乗り場だが、時間が早過ぎたためか乗船受付などはやっていない様子。いずれにしても時間の都合で川下りをする予定でなく、問題は川べりに降りる方法が無いこと。乗船の際には建物内の階段で降りられるのだろうが……。あっちこっちと歩き回り、諦めかけてちょっと駅方向に戻ったところ、わき道に建つビルの横にひっそりと遊歩道の入口があることに気付く。
http://yahoo.jp/rZ_VyE
「峡谷の湯宿 大歩危峡まんなか」の横。ふつう気付かないよこんなの。案内看板くらい立ててくれてもよかろうに。
そんなこんなでようやく川沿いに降りることができた。
そして先ほどの建物の下まで行くと、船頭さんと家族旅行と思しき一団がいた。もう少しあの建物の中で時間をつぶしてタイミングを計れば一団に紛れて降りられたな、とも思ったが、ただ川べりに下りたいだけで乗船場を利用するのもはばかられよう。後で確認すると、どうやら船に乗ってこその大歩危峡らしいが、マァこういう「間が合わない」こともママあるのである。