「恋猫」と「哀猿」

gaccoの「俳句 −十七字の世界−」、最終レポートの相互採点の話。他人様のレポートを採点する際、季語や歌ことばの本意は押さえておこうとちまちま確認してきたおかげで、思いがけない語彙が増えた。中で可笑しかったのが「恋猫」と「哀猿」。「恋猫」は現代でも容易にイメージできる発情期の猫で、「浮かれ猫」なんて季語も派生している。一方、「哀猿」というのは晩秋に哀しげな叫び声を上げる猿だという。

でもその「哀猿の声」が何かというと、求愛行動なんですねこれが。本人(本猿?)にしてみれば「恋猫」とさして変わりはないのでした。なのに季節が晩秋だったり、人の耳には哀しげに聞こえたりしたものだから「哀猿」などと言われ、しまいには「猿」だけで「哀しい」という意味を帯びるほどになってしまった。

人間なんて勝手なものだね、と思うとともに、その思い込みの激しさは自然科学を超えた、豊かな「文化」の一側面なのかも、とも思います……などと当たり障りが無いように締めておこう