神のみぞ知るセカイ」#4

いかん、感想書くためにアタマから見返したらアバンタイトルでいきなり泣いてしまった。「ね、私の絵、見てくれる?」で顔を上げるとそこには誰もいないという……。

ここまで原作の順番どおりだったのがいきなり飛んで3巻冒頭の「今そこにある聖戦」、これまでは原作2話分で1話が原則だったのが1話で1話という少々異色の回。リアルのヒロインの攻略でないのも今回が初めてか(ていうかまだ3人目)。

ともかくも、前倒しでこの回を持ってきたのは良かったと思う。ギャルゲプレイヤーとしての桂馬をはっきり描けているし、駆け魂集めに協力する動機もこの回で語られているからだ。

「いつもリアルはクソゲーだって無視するのに、どうして実際のダメなゲームにここまでこだわるのですか?」
「確かにこのゲームはクソゲーだ。だが空はなにも悪くない」
「悪いヒロインなんていない、悪いゲームがあるだけだ」
「ヒロインはゲームの中でいつも助けを求めているんだ。ゲームが壊れているからって見捨てられるか!」

つまり「リアルはクソゲーである」「クソゲーであってもヒロインを見捨てたりはしない」「リアルでもヒロインを見捨てたりはしない」という三段論法(桂馬自身は意識していないかもしれないが)。まぁ、少年漫画の主人公だから当然なんですが、「実はいい奴」だとこの段階で明示されたことで、視聴者も桂馬という人物を受け入れやすくなったのではないでしょうか。
全体を通してみると、学食〜ドッジボールのリフレインが少々くどく、無理矢理引き伸ばしたという悪印象が強くなっているのは否めない。しかしそこから目をそらせば、詰め込み過ぎの印象があった1、2話よりも面白く観られました。そこらへんのバランス取りは難しいのかねー。
脚本は、高橋龍也。知ってる人には出落ちというか、この名前が出てきたところで茶を吹いたらしいですが、残念ながら私は良く知らなかったり。
非常に細かいところをいうとプレイ画面、主人公の名が「桂馬」になっていた。本名プレイとは、さすがは落とし神だ。プレイ画面で気づいたのがもうひとつ、ひょっとしてループ回避の条件ってミュートモードだったりしたんじゃないの? ていうか3回に2回は起動しないとかセーブすると本体が壊れるとか、そんなとんでもないバグゲーが選択肢総当たりなんて正攻法でクリアできるとは思えん(苦笑)。