静岡県立美術館「ロボットと美術展」#2

前回(→)の続きで静岡県立美術館「ロボットと美術展」の話題。続きというか、コメントへの返答が妙に長くなったので新エントリとして独立させました。

>ミクとアイマスが同列

私は見てないのでピンとこないんですが、ニコ動とかにユーザーが動画をupしていることを頭においての発言と捉えています。そこからの派生(メーカーによるメディアミックス展開のみによらない、ユーザー対ユーザーによるキャラクターの成長)を含めて、「ユーザーの表現を宿す依代としての、仮想空間上のヒトガタ」みたいな話ではないかと。初音さんの展示もクリプトンの公式画だけでなく、浅井真紀氏の激しくアレンジの効いたフィギュアも含めてでしたし(ていうかこっちが目玉扱い)。

結局は展示はなかったわけで、これはもう学芸員氏当人にうかがわないとわからないんですけどね。

>それら全般を分けるのはどういった考え方なのかな

扱う範囲を狭めるとしたら、例えば「予め作られたシナリオがない(シナリオを感じさせない)ソフト上で構築される、ユーザーとの対話によって(もしくはユーザーの表現によって)成り立つ疑似人格」てな感じでしょうが、じゃあ「ラブプラス」の三人娘はロボットなのかとか、トロとかスズキとかの「どこでもいっしょ」の人工無能はどうなのよとか。ニコ動をさておいた場合、アイマスをロボットにしちゃうと、境界を設けられないままどこまでもロボットになる気がします。

>HOOKの擬人化もの「FairlyLife」を思い出しました

その話題は既に2年前に……ってもう2年前か(→)。「「そのツールは『人間:モノ』か『人間:モノ:人間』か」。これを十分に吟味したうえでないと、セグニティ同様のしくじりを繰り返すのでは」とかなんとか、結構いいこと言ってるな、私。FairlyLifeは一時期未開封新品がワゴンセール扱いで、気にはしてたんですが購入には至りませんでした。

>自然物じゃなくて工業製品が圧倒的に多い

自然物だと擬人化というより精霊や妖精になるから、ですかね。実は
「自然の力=神→ 巫女(シャーマン) → 人間」
という関係と
「機械 → ロボット(マニュアル) → 人間」
という関係とは相似なのかもしれません。M4たんハァハァ…ってそのシャーマンじゃねえよ。

閑話休題、相似であるなら、人の中から神に近いシャーマンが現れるのに対して、機械の側から人間に近づいたロボットが現れる、という対称も掘り下げると面白いかも。造物主・被造者という関係の転倒も含めて。

>コピー機が倍率設定とか用紙設定とか面倒なこと一切ナシで「頼子さん(←擬人化したコピー機の名前)これコピーお願い」で済んじゃったり

大体そんな感じ? 「マニュアル」といわれると出力系インターフェースの意味合いが強くてピンとこないんですが、不確かな入力にも対応するインターフェースの実例(実例なのか?)をあげられると、ロボットのイメージが明確になりますね。

>ロボットの語源的な意味で?

本文では触れませんでしたが、チャペックのロボットに関連したものや、それ以前の人造人間の展示も当然あります。そうそう、東洋初のロボットとされる「学天則」の1/2のレプリカも展示されているんですが、西洋のロボットが労働者の延長であり道具であるのに対し、学天則は全く実用に供さないんですよ。「結果的に実用に至らなかった」ではなく、コンセプトから実用性とは無関係だった。これも西洋と日本とのロボットに対する感性の差なのかも、というお話もありました。