「バクマン。」が退屈な理由

うん、まあ、予想通りの肩透かし。先週のヒキから1週でも「ジャンプに残るか他誌に移るか」でさらに引っ張ったら少しは見直したんだが…ま、こういう漫画だよな。どうあってもジャンプから離れない、そしてジャンプシステムから離れられない。

はからずも暴露されたのが、(この漫画の登場人物であるところの)ジャンプ関係者は漫画家も編集者も「「アンケート結果」は重視しても「読者」は見ていない」ってこと。「タント」にも支持する読者が一定数いて、その中にはタントファンといえる者もいるだろうに、漫画家・編集者の目には影すら映っていない。タント打ち切りという展開自体は予想通りなんだけど、まさか「ファンに申し訳ない」との心情が一切描かれないとは思わなかった。

道義的な問題でなく作品構造のレベルで評価すると、主人公対編集部の対立構造がへにゃへにゃだから漫画として退屈。今の展開は、両者ともアンケート至上主義に則って「今そこそこ受けてる漫画」をとるか、「将来もっと受ける漫画」をとるかで対立している。つまり内容の良否や創作姿勢の問題ではなく「受けてこそ=売れてこそ漫画」という同じ価値観のうえで衝突している。対立しているように見えて、実はどっちも同じなのだ。リアルはえてしてそういうものだけど、実録物でもないのにそれを漫画にして見せられたって面白かないよ。

ドラマの基本は「価値観の対立」だ。スポーツ漫画でいうと、「野球は楽しくやってこそ勝利にも価値がある」という部活に鬼コーチが赴任してきて「強くなるために厳しくやる、楽しさなど無意味だ」とかまぁ、そういう展開が基本中の基本だろう。「楽しい部活」をとるか「勝つ競技」をとるか。その価値観の対立でドラマが生まれる。

しかし「バクマン。」がやっているのは「サイドスローのほうが速いのにコーチは「そのフォームは崩れている」といってオーバースローを無理強いする」みたいな話(しかもオーバースローでもそこそこ通用する)。リアルの野球ならそれも面白いけど、漫画でやるこっちゃない。

また、敵味方で価値観が共通する場合は、同じルールの上での「競技」として戦うことでドラマが成立する。「バクマン。」にしても、「主人公対他の漫画家」を話の主軸に置くなら、ジャンプシステム全肯定でもドラマができるはずなんだけど、現状で重点を置いて描かれているのは編集部との軋轢だから、もうどうにもならない。

面白くなる可能性があるとすれば、アンケート至上主義のジャンプシステムに対して、その「外側」の価値観を提示することか。

ベタな展開でいえば、「新作もやっぱりアンケートの結果(マスの読者の反応)は振るわないけれど、ものすごく熱烈なファンレター(個の読者)が一通だけ届いて奮起する」とか。まぁそうした偽善、綺麗事を排したことこそが「バクマン。」の特長だから期待するのはお門違いだけどね。ただ、「ジャンプ」のリアルのコア読者層相手にはそういう綺麗事のほうが受けるんじゃないの? とは思う。

だったら思いっきり逆に振ろうか。「編集部に言われるまま計算尽くで受ける要素をぶち込んだ新作は目論見通りアンケートでは大受け、アニメ化も決定!! しかし主人公コンビは自分たちの作品に納得できず、そのうえ新妻エイジにもやっぱり「読んでない」といわれる」てなところでどうだろう。……「ブルセラムーンは勘弁してけろ」って懐かしいなあ編集王。そういや、他誌から他誌だけど「どうぶつの国」ってどうなんですかね? ここらへん「バクマン。」よりもリアルのほうが面白いよな。

フィクションならフィクションらしく綺麗事(熱意や創造性、独創性こそが漫画だ!! みたいな)を語るか、でなければ現実に起きている問題をきちんと反映させるか。漫画家を描く漫画に読者が求めるのはどちらか(あるいは両方)なのだが、「バクマン。」はどちらでもない。ジャンプシステム全肯定の前提を変えられない、という縛りがあるからなんだけど、まぁぶっちゃけ、拙い、といって差し支えないレベルだ。

今さら方向性は変えられないだろうから、せめて「アンケート結果」だけでなく「読者」も見る」漫画家・編集者を描くくらいはしてほしいもの。それくらいは綺麗事を見せてよ、「バクマン。」を読んでるのも他ならぬジャンプ読者なんだからさ。