かつてSF作家アーサー・C・クラークは「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」との名言を残した。ロマンをかきたてられるフレーズだが、よく考えれば、そもそも科学と魔法は対置されるものなのか? という疑問がわく。「ニュートンは錬金術師だった」などといった例を引くまでもなく「原初的な科学は魔法と区別がつかない」のだから。さて、クラークの言っている「科学」とは何なのだろう? 魔法と区別がつく科学とは何だろう? そんな疑問を頭の隅に置きながら、こんな本を読んでいた。
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2005/03/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)とはもともと違うレベルの概念だった。科学とは物事の仕組みの解明や何かの法則の発見が仕事だったし、技術はモノを作る工夫や仕掛けのことだった。ところが、現代ではこの二つが合体して科学技術となって、何か新しいものを作り出すことが中心的な課題となってきたのである。
さらに、長尾真の『「わかる」とは何か (岩波新書)』からの引用部分にはもっと詳しく書かれている。要点を書き出すとこのとおりだ。
科学と技術はまったく異なる概念で、科学技術という表現は適当でないという考え方をする人もいる。しかし、現代科学は高度の技術なしではあり得ず、その技術も科学によって支えられている。(中略)科学と技術の境界は判然としなくなってきているうえに、何か新しい発見があると、これが直ちに技術の世界に使われて新しい発明につながり、これがまた基礎研究にフィードバックされるという、非常に早いサイクルを描く時代になっている。そういった状況からも、これら全体を科学技術と呼ぶのが適当というわけである。
これでいくらかすっきりしてきた。どうやら、クラークの法則のなかの「科学」は「科学技術」のことと言えそうだ。実際、調べてみると「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」との翻訳があった(早川文庫『未来のプロフィル』の紹介文らしい)。翻訳が一通りでないとわかると、いよいよ気になるのが「原文ではどうだったのか?」だが…。
Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.
なんとtechnologyなのである。一体誰が「科学」と翻訳したのかも気になるところだが、確かに「高度に発達した技術は…」では座りがよくないし、ふつうは「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」に疑問を抱かないことも確か。
そう、「高度に発達した技術は科学と区別がつかない」のだ。