18きっぷで1、2回分使う予定が無かったので、何となく電車に乗って出かけた。浦和から上り国府津行きにのってまずは終点まで。
あまりの暑さ、というか日差しの強さに国府津はざっと歩いただけだが、看板建築の現存数の高さにちょっと惹かれる街だった。
- 作者: 内田百けん
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/04/24
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御殿場あたりで降りて折り返そうかとも思ったが、なんか面倒に思えてそのまま沼津まで乗り通す。途中区間では岩波駅の手前、地名に恥じず、岩の上を白い波が跳ねる渓流の流れを見下ろせたのが印象的。しかもそれは深い山中ではなく、すぐ傍らにまで住宅街が広がっているのだ。
それと裾野駅を発ったところで左右に大きな神社が見えたのだが(地図で確認したら平松八幡宮と佐野原神社だった)、なぜにこんな近くに神社が固まっているんだろう。
というわけで沼津に着いたものの、既に2度来ている街。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20140823
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150405
今回はいいやとすぐさま熱海行きの上り列車に乗る。そして熱海に着いた頃に「そういや『お宮の松』も見たことないや」と、熱海をぶらついてみることにする。
海への近道になっていれば、とフイと道を曲がったところ、廃墟に囲まれた路地に迷い込んでしまった。
枯れ葉が積もった階段、というのはこれで風情を感じる。普通に危険だけど。
これらはかつて保養所だったらしく、「トヨタ保養所」「国際クラブ」といった表札が確認された。
そして海。
海。
海。海水浴客。城。
コンクリート製のガードレール。基部だけでなく「レール」自体もコンクリート製のものはほとんど現存していないのでは。
海に飛び込みたい気分はあったが水着の用意などあるわけもなく、海水浴場を横目に寛一・お宮の像を目指す。
アオリ。そういや『金色夜叉』読んだことないな。
「ほーら熱海城が片手で持てますよー」
「つまんねーよ(ゲシッ)金色夜叉の時代に熱海城はねーし(ゲシゲシッ)」
こんな話だったか。
そろそろ駅に戻るか、という途中で、道に沿ってカーブを描くビルを見かけて寄って見てみる。
そして気が付くと、ここは来宮神社への入り口だという看板があったので、じゃあひとつ参拝してみるかと10分ほど歩く。
神社のすぐ手前に重厚な石造り二連アーチの来宮ガード(来宮暗渠)。
http://blogs.yahoo.co.jp/bazu55555/23028702.html
http://blogs.yahoo.co.jp/bazu55555/29100481.html
大正から昭和にかけての時期に造られたらしい。当初は一方は水路だったとのこと。暗渠というのはこのアーチのことでなく、暗渠化された水路のことを指しているのか?
来宮神社。
天然記念物の大楠。
稲荷社。
このほか忠魂碑もあったが、これは後ほど独立した記事で。
来宮神社から駅に戻る途中、また横道にそれる。山と海に挟まれた土地が温泉によって古くから発達したからだろうか(いや実際どうなのかは知らない)、熱海には坂と階段の路地が多いという印象。
それにしても暑い。
裏道を抜けて、湯前神社なる神社の前に出る。
そして熱海駅から宇都宮行きの列車に乗る。乗り換え無しでさいたま新都心まで帰れることを、改めて凄いと思う。列車はそれどころか宇都宮まで行くのだから、乗務員はかなり疲れるのではないか。なお、こうして記事を書く段になるまで、駅前にあるはずの機関車のことはすっかり忘れていた。いずれまた行くことにしよう。