宇都宮・第十四師団建築紀念碑(忠魂碑・忠霊塔#39)

連休初日はちょっと実家へ。途中、今年の初詣に…行かなかった(http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150103 この写真だけ撮って帰ったのだった。人混み苦手なの)二荒山神社に寄って、石碑をひとつ撮影する。

「第十四師団建築紀念碑」。

全文はこちらを参照。
「宇都宮のいしぶみ」(昭和56年=1981年・宇都宮市教育委員会)p35(pdfではp41)
http://st0011.nas931.utsunomiya.nttpc.ne.jp/ext/syuppan/pdf/04_isibum.pdf

皇軍戦捷チ更ニ武備ヲ修ム野州宇都宮ノ地ヲ卜シテ新ニ第十四師團ヲ建
築セラル不肖金太郎命ヲ蒙リ幸ニ従フ明治四十年七月其ノ工ヲ起シ同四
十二年三月其ノ功ヲ竣リ今ヤ兵員ノ収容ヲ了セラル抑此ノ短日月間二於
テ能ク斯ノ大工事ヲ完成セシ所以ノモノハ事二従ヒシ者寒暑ヲ厭ハズ風
雪二撓マス国ヲ思ヒ公ニ奉スルノ至誠二因ルト〓二荒山神霊ノ加護厚
キ二外ナラスト信ス茲二玉檣ヲ霊域二造リ之ヲ奉献シ以テ其ノ神徳ニ報
賽シ併セテ師團建築ノ記念卜焉ス
明治四十二年三月  近藤富壽書

コピペできて楽だぜ〜と思ったらあちこちにとんでもないデタラメがあって修正が結構な手間だった(それでも一から打つよりは遥かに楽だが)。PDFからのコピペだとOCR的に読み取るのか?

これがどういう趣旨の石碑か、ちょろっとググると「そこナニBlog」2010年9月29日付「第十四師団建築紀念碑」がヒットした。
http://yaplog.jp/sanpoex/archive/559

「宇都宮のいしぶみ」では省略されていた碑の建主が、第14師団の建設を請け負った『長谷川組 長谷川金太郎』だ。
要するに「短い工期で僕たちキッチリ作ったよ、すごいよね」ということだな。

そういわれると、なるほど2行目に「不肖金太郎」とある。
さらにこの記事は…。

師団を「建築」っつうと、どうも今の言葉の感覚だとしっくりこない。
これが、調べてみると明治の頃は「建築」という語は、「建設(construction)」の意味で使っていたという。なるほろね。

「建築」という言葉の違和感まで取り上げていて、もう私には書くことが無いのであった。