覚えてい〜ますか〜 忘れかけてたネタがひとつありました。よく「視線を感じる」なんてことを言う人がいます。仮にそれが本当のことならば、人間の目か、目以外の何かの感覚器はアクティブ系のセンサでなければならない。
コウモリは「1・超音波を発して」、それが物にぶつかって返ってくるのを「2・感じ取って」障害物を避けてるわけですが、人間の場合は2の「感じ取る」だけの感覚器(パッシブセンサ)はあっても、1の能力との組み合わせで機能するアクティブセンサは無い。
平たく言えば、「目から何かが出てるわけじゃない、だから実際には視線を感じるなんてこと、あるはずがない」って話です。
昔はそれこそ、目から何かが発せられていると考えられており、だから災厄を招く「邪眼」なんてのもあったのですが、宇宙ロケットが小惑星まで往復する科学万能の時代にそんな迷信を信じるなんて、お笑い草ですよ(現代風にレトロな言い回し)。
しかし、これで話を終わりにしては面白くない。もうちょっと無駄に考えてましょう。
最も常識的な仮説として、「自分のほうを向いている他人の目の動きを、無自覚的に視野の端で捉えること」が実は「視線を感じること」だ、なんてのはどうでしょうか。
カクテルパーティ効果と同じことが視覚でも起きていて、なんと言ったっけ、人は目に入る雑多な情報を無意識的に取捨選択していて、見ようと意識したものだけ見たと認識する、というヤツ。その際、見ようと意識されなかったものは「見えない」わけですが、ただ意識を向けていないだけであって、視野には入っている。
えーと、つまり、人間は意識的・無意識的に情報の取捨選択を行っており、「見えているのに見てないもの」が生じている。その、見てないものの中に、自分のほうを見ている人のそぶり、細かくは眼球の動きなどがあったとき、「視線を感じる」のではないか。
誰かどこかでもっとちゃんとした研究をしてそうですが、さて実際どうなんですかね。
ステルス・デザインの方法―イルカの記憶と都市の閉塞感を減らす技
- 作者: 長沼伸一郎
- 出版社/メーカー: 通商産業研究社
- 発売日: 2006/11
- メディア: 単行本
- クリック: 17回
- この商品を含むブログ (11件) を見る