交通公園と交通戦争の時代
鉄道趣味の人間にとって交通公園とは、何の静態保存機が展示してあって保存状態はどうで、という興味の対象でしかない。私にはほかにせいぜい、子供の頃にゴーカートを乗り回した思い出があるくらいだ。
なので、どうして交通公園なるものがあるのか考えたことがなかったのだが、ちょっと昭和30年代の「街の風景」の写真を探していたときに、ふいと気付いた。ああそうか、あれは交通戦争を生き抜けるように子供たちを訓練する、練兵場だったんだ。
早速「交通公園 交通戦争」でググると、おお、ドンピシャのテーマで書かれた論文がある。「交通戦争の残影 : 交通公園の誕生と普及をめぐって」(掲載誌『静岡大学生涯学習教育研究』)と題された金子淳の論考だ。長いものでもないので即座に通読する。
ふーむ、交通公園のみならず児童遊園も、元は交通戦争への対策として生まれたものだったのか。路上で遊ぶ子供たちの写真などは「いかにも昭和30年代的風景」と取られがちだが、実はその時代それは社会問題化しており、子供を車から護るためにも児童遊園の整備が求められていたとは。
雑草生い茂る空き地の片隅に、錆びてボロボロになったすべり台がぽつんと置いてある風景などは、今はどこの田舎でもおなじみのものだ。そうした廃園もできた当時は「これで子供たちは道で遊ばずに済む、車を気にせずのびのび遊べる」と住民たちに安堵と歓びをもたらしたのだろう。廃園化の原因はもちろん少子化なのだが、そもそもなぜ児童遊園が作られたのかまで遡ると、また見る目が変わってくる。
それにしても、交通公園のゴーカート乗り場ってクローズドだから、交通ルールとかマナーとかを学ぶ役に立つものではないだろう。クローズドなのは当然なのだが、となるとそもそも交通公園の存在意義に疑問が生じる。まさにそこが衰退した理由なのだろう。
ただ一方、中学3年生が書いた「平成15年度交通安全ファミリー作文コンクール」受賞作に「私はこのことを通して交通公園の意義、必要性を痛感しました。現在は、交通戦争とまで言われる時代で、様々な交通事故が発生しています。」という一節があったりして、現代もなおその意義は失われては……いない、のか?
ついでに、アニメ・特撮で交通戦争が描写された作品も挙げてみる。即座に思いつくのは以下のとおり。「魔法使いサリー」の第50話(1967)は市役所にかけあって歩道橋を架ける話だった。「ウルトラマン」(1966)の高原竜ヒドラ、「スペクトルマン」(1971)のクルマニクラスは、いずれも交通事故にあった子供の恨みで生まれた怪獣だ。「怪奇大作戦」には、乗用車の連続暴走事件を扱った「果てしなき暴走」(1969)というエピソードがある。実行犯は車の排気ガスに特殊な神経ガスを混入してまき散らし、後続車のドライバーを狂わせていたのだが、真犯人は結局明らかにならない。ラスト、実行犯は「頼まれた…(頼まれた? 誰に!?) …車」と言い残して息絶える。この台詞、一面では真犯人のヒントなのだが、実は真犯人などおらず車の存在そのものが原因だ、とも取れるイヤーな幕引きになっている。暴走は果てしない。