「人類最後のエンジン」の謎

日経ビジネスオンラインのシリーズ「航空機産業の活路」の最新記事、「5〜7年あれば戦闘機用も作れる」のなかに以下のような発言があった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100107/212052/?P=5

(略)その次は米国の戦闘機「F104」に搭載された「J79」であり、これが難しかった。

J79は当時、「人類最後のエンジン」と呼ばれたほど革新的な製品であり、製造元のGEから図面をもらったりしましたが、精密加工が難しい。

発言者はIHIの元副社長、高橋貞雄氏。日本の航空機エンジン産業の黎明期に旧石川島重工業に入社した、という人物だ。ううむ、実際にJ79ジェットエンジンを扱っていた人物の発言だから、疑うべきではないのだが…。それにしても、不思議な発言である。
J79は、どうやら確かに革新的な製品だったらしいし、F104の後にはF4に採用、そのF4は5000機以上も生産された大ベストセラー戦闘機だからエンジンもまた名機といっていいだろう。
しかしそれでも、「人類最後のエンジン」という呼び名はしっくりとこないのだ。
F104は確かに「最後の有人戦闘機」と呼ばれていた。

ちなみに最後の有人戦闘機の呼び名はultimate manned fighterを訳したものだと言われているが、正しい和訳は究極の有人戦闘機である。日本ではかなり有名な表現だが、英語圏ではこのような表現はほとんどされていないらしく、少なくとも、英語版wikipediaのF-104にはそのような表現はない。
これはロッキード社の副社長が来日したおりの記者会見で「これ以上のものは有人では無理である」との発言を捉えたものだと云われる。誰しもにそう思わせるようなラジカルな姿態の戦闘機だった。
「最初の無人戦闘機F-99ボマークと対をなして呼ばれた」との説もある。また、当時製作された記録映画には『F-104J 人間が乗る最後の戦闘機』というタイトルがつけられている。
 
F-104 (戦闘機) 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/F-104_(戦闘機)

「誰しもにそう思わせるようなラジカルな姿態の戦闘機だった。」は誰かが抱いた感想に過ぎず、削除すべきだろう。ともかくも、注記にボマークの名が出ていることからも察せられるように当時は「ミサイル万能論」が強く信じられていたから、「有人戦闘機はもうこれで終わり」の含みもあったと見るべきだ。実際、この後アメリカではSAGE(半自動地上管制迎撃システム)の運用が始まり、F-106はそのシステムの一環となった。無論F-106は有人戦闘機だが、極言すればパイロットの戦闘への関与はただボタンを押すだけであり、無人機同様といえる。
さて、そこで「人類最後のエンジン」である。F104は確かに「最後の有人戦闘機」と呼ばれていたが、J79は「人類最後のエンジン」だったのだろうか。
例えば現場の人間が、「最後の有人戦闘機」をもじって「人類最後のエンジン」と言っていた、そんな話も十分にあり得る。「これ以上精緻な構造の機械を設計・製造するのは、もう神様でないと無理だ」くらいの意味と取れば、話は通じる。でもそれではあまり面白くない。
以下はひとつの推察である。高橋氏は本当は「人類最後のジェットエンジン」と言いたかったのではないだろうか。「これ以上の速度、出力となればロケットの領域である。こんな精緻な設計・工作をしてまでジェットエンジンを使う必要はない」、という当時の感想を背景にして。だが、実際に話す段になって、「人類最後のエンジン」と言ってしまった。それは、お年を召して…ということでもなく、誰にでもよくある言い間違いの類いだろう。そして、記者は意味が分からないまま、そのまま書いてしまった。結果、今ひとつこなれた感じのしない、「最後の有人戦闘機」との混同を思わせる「人類最後のエンジン」発言になってしまった、と。
いずれにしても「人類最後のエンジン」は目新しい。今後何かの機会があれば、また意味を追ってみたいと思う。