月にロケットが飛ぶ時代

一生に一度は言ってみたいセリフ〜。
「幽霊? ハハハ、バカバカしい。月にロケットが飛ぶ科学万能の時代にキミはそんな迷信を信じているのかい?」
……いやまぁ、これは色々とツッコミ待ちなわけですが(「月ロケット…って、最後の有人飛行から36年経ってるって」「ていうか科学万能の時代って70年代初頭までの話じゃね?」「そもそもどういうシチュでそのセリフを言うんだ」)、ところがどっこいごく最近、素でこのフレーズを使っちゃった人がいるのである。

取材のときに、たまたま行った先がタイの山岳移動民族で、つい100年か、150年ぐらい前までは、近代文明とほとんど接触がない、僕が行ったころにはまだ木の枝と葉っぱだけのテントより小さな家で、電気もない、もちろんテレビもない暮らしをしていて、学術調査の対象にもなっていました。
(略)
一方で、同じ地球には、最先端の科学を持って月までロケットを飛ばしている国もある。それらが共存しているのが21世紀なんですよね。

まぁ、最近は「かぐや」があるから日本も「月までロケットを飛ばしている国」といえなくもないですが、それにしたって「月までロケットを…」てのはレトロなフレーズだよねぇ。
誰がそういうことを言うかというと、誰あろう河森正治なのであった。さすがというか何というか……。「日経ビジネスオンライン」の不定期掲載シリーズ「アニメから見る時代の欲望」(http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080811/167691/)で、インタビューに答えての発言で、引用した部分だけだとなんだかアレですが、話は滅法面白く、会員登録してでも読む価値はあります。

さて、実はこの「月にロケットが飛ぶ時代」の話は、実は「明日は昨日の為にある」で取り上げたことがあります(2007/4/5付2007/4/19付)。このときは、「月ロケットが飛ぶ時代」以前には「人工衛星が飛ぶ時代」が科学(科学技術)の発達を言い表すフレーズだった、ということを書いて、こう締めてました。

さて、一体いつから「科学万能の時代」は始まったのだろう? それがもし1957年のスプートニク打ち上げ以前だとしたら、その時はなんと言い慣わしていたのだろう。

これが、あったんですよ。
厳密には「科学万能の時代」ではありませんが、スプートニク打ち上げのはるか以前に似たようなフレーズがあったんです。パオロ・マッツァリーノの『日本列島プチ改造論』(asin:4479391851)、明治初期の錦絵新聞の紹介にこんな話が出てきました。

ある夜、死んだ妹だか嫁だかの幽霊が枕元に現れたという話。次の晩も現れておびえていると、なぜか金品を要求してきたので、不審に思って取り押さえると、となりの家の女房だったという詐欺未遂事件。文明開化の世には幽霊なんぞいるわけない、という警句にハイカラな気分を感じます。

あー、井上円了ってのはこういう時代の人物なんだなぁとヘンに納得。それにしても、こんな形で「科学万能の時代」と「文明開化の世」に相似形が見られるとは思いもかけませんでした。