切るか握るか安全牌

『戦争する脳』(asin:4582854028)読了。たいへん含蓄に富む内容にして、ウィット(というか皮肉やイヤミ)も鼻につかない程度に織り込まれており読みやすい。「広く共有されている情報(いわゆる客観的な事実)」と「引用」と「自分の考え」と「思いつきレベルの推測」とをきちんと切り分けて書かれているあたりも、まず安心して読むことができる(そんなのは本来イロハのイだが、近年の新書本ブームで、それすらできてない本に何度も当たっている……もちろんそれらも全て、大手出版社のプロの編集者が手綱を握り、プロの著者が書いた本だ。ああ、構わないから「しつこい奴だ」と言ってくれ)

個人的には『軍神』(asin:4121019040)と絡めて、「身体の隠匿」と「祀り上げ」との関わり方なんてテーマでも思うところがあったのだが、内容に関して真面目に踏み込んだ話は後ほどキッチリ書くとして、今回は言葉カテゴリの話題。
日本海軍への就職コースのひとつ「海軍短期現役」の扱いに関して、海軍経理学校出身の苦学生だった著者の父親が、海軍省に直接抗議を行った…とのエピソードを受けての一文にこうある。

今流に言えば、ぬくぬく育った坊ちゃんたちが、安全パイを早く握ろうとして短現コースを選ぶんだろうという、少々へそ曲がり的な行動だ。
(p146)

安全牌を早く握ってどうする!?  安全牌は「切る」ものでしょ。ていうか、切る段階になって初めて安全牌か否かが意味を持つんだし。そりゃまあ、状況次第では安全牌を握ることにも意味はあるけれど、「早く」握ることにはどうあっても意味は無い。

ただ、著者の年齢からして麻雀用語を知らないとは思えないので、「今流」の若者言葉として、あえて本来の意味を外した用例を示したのでしょう。実際、「安全牌」「安全パイ」でザックリとググると、握るなりつかむなりして「入手するもの」「手元においておくもの」というイメージで使っている例が多数見られます。

フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』には「安全牌・危険牌」の項があり(ホントに何でもあるなウィキペディア…)、「転じて一般社会でも安全策を行なう事を安全牌を切ると表現する事もある」との用法についても書かれていますが、さすがに「安全牌を握る」はカバーしていません。

麻雀は1局1局の区切りのある、最大4人で競い合うゼロサムの駆け引きだから、自分の聴牌を崩してでも安全牌を切って流局に持ち込む選択を取ったり、明らかな危険牌を「安そうな立直者に故意に振り込んで、その局を終わらせる」という選択もあるわけで、そうした意味の深長さは「安全策を行なうこと」のたとえにも応用できそうなもの。

しかしそうした意味や由来は顧みられず、ただ語感によってのみ「安全牌」という言葉は広まり、「握る」「つかむ」といわれるようになったのでしょう。

切る安全牌に対して、握ったりつかんだりする安全牌は、「ゼロサムゲームを競い合う」とのバックボーンを失っており、判断不要の安易な安全策という印象が強まって、意味浅薄になった感があります。まぁこちらの意味が一般化し、一方で麻雀がマイナーになっていることを思えば、世間におもねることが安全牌といえるのでしょうけどね。