戦闘妖精・雪風<セカイ>

先日、久々に会った学生時代の友人と「戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)」「グッドラック―戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)」の話をする。そいつは最近になって読んだばかりとのこと、「グッドラック」のラストについて「勝ち目が無いとわかっているのに、何であえて戦いに出るのか今ひとつ釈然としない」という。私は私で、「グッドラック」は新刊で出た当時に2度ほど読んだきりなので、実はよく覚えていなかったが即興でこう答えた。
「『雪風』のほうは零が雪風にフラれるまでの話なのに対して、『グッドラック』は零と雪風がヨリを戻す話でしょ。だから零は最後にはジャムがどうだとかFAFがどうだとかはもうどうでもよくて、ただ雪風と一緒に飛び立ちたかった…という結末だと思ったけど」
今これを書くにあたっても『グッドラック』を読み返していないので、ひょっとしたら外れているかもしれないのだが、そのときその友人は腑に落ちたようだった。
改めて思うに、私の、このプロット理解のアプローチは「セカイ系」としての解釈……という気がする。笠井潔の定義に倣って言うなら「無力な主人公・零と、妄想的な戦闘空間に位置する戦闘機とが接触し、キミとボクの純愛関係が生じる第三の領域」たるセカイを目指す幕切れ、といったところ。ううむ、やはり神林長平セカイ系のルーツなのか。
……即興の問答が、思いがけず新たなアプローチを生む。題材が『雪風』だけに、これぞまさしくジャムセッション なんちて。