日暮里と小日向の「煉瓦製」擁壁

※すでに19日だけど訪問日の18日付でupします。
三連休といっても先立つものは無し、やるべきことも無し。さてどうするか、というときにフイと思い付いて日暮里に出かけた。


日暮里駅の南、芋坂跨線橋。「左 坂道は行き止まりです。」という坂道を進む。




これを見に行ったのだ。レンガの塊がランダムな向きで埋もれた擁壁。関東大震災の瓦礫を積み上げたといわれている。

https://twitter.com/t_tasso/status/776657251297849345
こういうのは「ガンタ積み」というらしい。ただ、「解体した古いコンクリートの塊などを再利用して造られたもの」との解説があるなど(http://allabout.co.jp/gm/gc/389795/)、広く瓦礫を再利用したものを指し、どんな瓦礫かは問題とされないようだ。
 
ああそうだ、煉瓦といえば……ともう一件思い出す。


小石川の牛天神こと北野神社。その石段の傍らに……。

謎の煉瓦構造物。『東京新地図』(読売新聞社・1968年)には、

大和町の高台に北野神社(牛天神)がある。春草のもえ出た急斜面の地はだをはうように白い石段がのびている。その台地のわき腹にくずれかけた赤黒いレンガべいがのぞいている。このへんまでが砲兵工廠の敷き地だったらしい。明治軍国主義の残がい、つわものどもの夢のあとである。

と書かれているが実際どうかはもう少し調べてみないとわからない。

また、『東京新地図』には石段のわきにしか触れていないが……。

車でも通れる細い急坂の傍らに、ガンタ積みになった煉瓦塊。

いや、場所によってはガンタ積でなく、元から煉瓦を積んだ擁壁だったのが崩れかけているようにも見える。これはどういう由来なのだろう? 砲兵工廠は昭和6、7年頃に移転したというから、震災の後もこの地にあったわけだが、さて関連があるのか無いのか。


これも工廠と関連があるのか無いのか、牛天神近くにある寺院、常泉院の見事な…しかしかなり風化している煉瓦塀。

積みかたが新旧で変わっているのもポイント。
 
『水徒然』2015-09-02「煉瓦が導く小石川砲兵工廠の谷戸
http://yatolove.exblog.jp/22106158
小石川の煉瓦塀についてはこちらのブログを参考にさせてもらった。同じ場所で同じものを見ているはずなのに、私とはちょっと違うものを見ている面白さ。

「最終警告」、私もちょっと寄ってみました。