古河の町

9月5日土曜日、2015年夏の18きっぷ最後の1回分で古河へ行ってきた。どうせならもっと遠くへと思わなくもないが4回目までで元は取れたので、気楽に行けるところへ。
(冬は例の巨石wを拝みに茅野に行こう。
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観光エリア(旧古河宿=古河城下)は駅の西側だが、いきなり東に向かって歩き出す。目的はイオンだったが特に収穫もなかったのでここでは触れない。

そして大木と祠に行き当たる。

古河市指定文化財「小蓋宮の大欅(こぶたのみやのおおけやき)」。小蓋宮とは、畑にふたをして雹害から農作物を守る神として信仰された、とのこと。大ケヤキは推定樹齢600年。

このほか、道端にふいと「猿田彦大神」の碑が立っていることも気になった。

これなどは、ごく普通の民家が塀の一部をわざわざ凹ませて猿田彦大神のスペースを作っている。まぁ調べればすぐにわかりそうなことなのでちょっと保留。

駅西側に出て、大聖院付近。微妙なカーブが気になる。

突き当たりでクランク状になっていた形跡。元は鉤の手か。

後で「お休み処 坂長」に展示してあった古地図で確認。防衛設備としての鉤の手かどうかは不明だが、江戸時代から大聖院のあたりで道がクキッと曲がっていたこと、そこが町の入り口だったことが確認できた。

そうした過去とはまず関係無いが、大聖院の並びにあった「マルヰガス 古河((有)鈴木清蔵商店)」の煉瓦塀。
同じ敷地の塀なのに左はイギリス右フランス。門はさしずめドーバーか。

左は煉瓦の積み方がいわゆる「イギリス積」で、

右はいわゆる「フランス積」ということです、念のため。

大聖院から南西に向かって歩く。不動尊の向かいにトラック廃車体。電柱が傾いているのは広角レンズのせいで、実際には真っ直ぐです。


車種は三菱キャンター、年式はわからない。

篆刻美術館」、三階建の蔵。


古風な、いかにもな油屋(利根川油店)だが……。

一時はそのままの建物でガソリンスタンドを併設していたらしい。


福寿稲荷神社の前、駐車場の真ん中にポツンと残る煉瓦造の蔵。どうやら今も倉庫として使われているらしい。

というわけで、古河はフラフラ歩くだけでそれなりに見応えのある街だったのだが、ひとつ気になったのは戦死者慰霊の碑や出征記念の碑が全く見当たらなかったこと。神社仏閣は目に付く端から寄ったのだが、一つも見つからなかった。戦争に対する態度という以前にまず地域コミュニティの有り方がどうだったのかが気になる。

戦争とは無縁の街だった、わけではもちろんない。この「古河大佛」は、元は延宝年間の西暦1679年造営。それが1944年、太平洋戦争下で「鋼鉄回収に応じ、最後の供養を受けて赤たすきで出陣された」とのこと。現在の大仏は1979年再興。