最近観たTV番組

 
「機動戦士Vガンダム#41
「ギロチンの家系が付けなければならない鈴がザンネックの鈴になり、その鈴がマシンの動きの周波数に連動して私の頭に敵の姿を感じさせるんだよ」
……何の芸も無い説明台詞もここまで来ると芸のうちだな。しかもこの台詞、話の本筋と全く関係ないという。ファラ・グリフォンは「ビール一杯ゆっくり飲めないのか」なんてこぼすあたりの中間管理職の悲哀を見せてた前半のほうがキャラが立ってたよなー。再登場したばかりだから今はまだ目立っているけど、じきにキチ×イばかりになって埋もれてしまう。

「ギロチンに掛けられそこなったタシロが艦隊を任されているとすれば」「カガチの操り人形に成り下がっただけだ。しかし私は違うぞ。自分の名誉のために戦い、タシロが守っているエンジェルハイロウとやらもいつか自分のものにしてみせる」
……これもすげぇよなあ。こっちは一応必要な説明だけど、なんで特に親しくもないルペ・シノの前でこぶし固めてまで決意表明するんだピピニーデン(上のファラの台詞はモノローグだからまだマシ)。そしてピピニーデンは次回を待たず予告でもう死亡。
 
ガンダムビルドファイターズトライ#8
♪創り上げても壊して、また創って〜って前シリーズではオープニングテーマに歌いこまれてたやん。「人は死なないけどガンプラは壊れる」という視聴者の身の丈にあった(ひょっとしたら人死によりも共感しやすいかもしれない)シビアさと、そこからまた創り上げることとが前シリーズの肝だったわけだ。

それが「トライ」ではビルドバーニングの修理が描かれないどころでなく、「ダメージレベルB設定だったので修理は必要ない」という設定だという。それを作品の外で、作品を直接的にはコントロールできないプロデューサーが説明するという手際の悪さにも目を覆うし、これでも説明し切れていないのだ。「だったら今回の冒頭、ジオ・ジオングはなぜ大破しているんだ?」という話になってしまうから。

もちろん設定上は「ダメージレベルAにしていたから」で説明できるけどそうではなくて「部内の力試しよりも公式大会のほうがヌルくてどうすんの」というドラマ作りの問題。つか、そういう設定があって、かつ大破したジオ・ジオングを描きたいのであれば、スガとのバトルを始めるときに「ダメージレベルはどうすんだい?」「我らチームGマスターは常に真剣勝負。もちろんレベルAだ!」とでも会話を交わせばいいだろう。

それはそれとして、本筋と無関係な境港のアバン、本筋とほぼ無関係なドッゴーラ対ザメル、セカイとギャン子のデートときて、トライファイターズvsリヴァイアサン北宋の壺vsGマスターの2試合をやって……ってこれやっぱり30分枠1話に無理して詰め込まなくてもいいんじゃないかなあ。どこにもそれなりの時間を割いていて、かえってバランスが悪く感じられる。

割とどうでもいい話。何故か足ひれ付けてるチームリヴァイアサンって前回の水泳部とネタ的にちょっと被ってる。
甚だしくどうでもいい話。「あの百式ベースの機体は!?」とユウくん言ってたけど残念、百万式(メガシキ)はデルタガンダムベースなのだ!