東北旅行#7 陸前高田「奇跡の一本松」とその周辺

7月20日の東北旅行の話の続き。
BRTの「陸前高田」は、しかし本来の陸前高田駅からはちょいと離れて丘の上にあるのだった。

これは陸前高田で降車後、「奇跡の一本松」への徒歩移動の際に撮影。画像中央を縦に貫く緑の帯が大船渡線跡のはずだがよくわからない。

yahooの地図は空撮写真が震災前だった。左上の赤い矢印が撮影地点、右下の端に本来の陸前高田駅。

「東浜街道」の陸橋。この向こうに陸前高田駅そして駅前の町があったのだ。

その東浜街道は西のほうで気仙川を渡っていたのだが……。


今は橋脚だけが残っている。

震災前は対岸にも町が広がっていた。

かつて越前高田の中心市街だったと思しきあたりから、このような「橋」が架かっている。

これは名付けて「希望のかけ橋」。

今泉地区に高台の住宅地をつくる工事を行っています。
掘削した土を運搬するためのベルトコンベア専用吊橋です。

とのこと。市街を高台に移転するとして、ではこの土地はどうなるのだろう。
 
ところで、これまでは難点を知りつつも基本的には信頼を置いていたアンドロイド標準の地図アプリだが、今回は大ポカをやらかした。どんなポカかはGoogleマップで航空写真表示にして、陸前高田駅から『奇跡の一本松』間でのルートを検索するとわかるよとだけ書いておく。そのせいで私は不本意ながら立入禁止の場所に踏み込み、履きつぶし前提の安物とはいえ買ったばかりの靴を台無しにしたのだった。

そしてこれが「奇跡の一本松」。ぶっちゃけ作り物くさく感じるのは、保存のために人工的な処理が施されたと大きく報道されたから、というだけでなく、津波前の「名勝 高田松原」の風景を知らないというのも大きい。

とはいえ、本当に何もかも無くなってしまった町を見てしまうと、多少無理をしてでも、どんなに不自然な形であっても残したいという気持ちはわかる。荒野と化して、あらゆる記憶が津波に流されてしまった高田にあって、ただあれだけが残された「過去」なのだ。

奇跡の一本松を見た後は、最寄り停留所から15時31分発(時刻表の数字、約10分遅れ)のBRTに乗って終点気仙沼を目指す。