前に二度ほど取り上げた、七輿山古墳に並ぶ首の無い石仏について。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20130729
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20130730
ふいとググッたら、ひとつ面白い指摘を見つけた。
更によくよく見てみると、七輿山古墳がどう削られているかと言うと、古い鍵穴の様になった前方後円墳の後円部墳頂の上層部が半円分ごっそりとなくなっている。
という事は古墳の石室のある場所を目的にして削られている事は明白であると言えよう。
(略)
これだけ大掛かりに土を削り取って、五百羅漢像を置くとなれば、これらの像が作られた江戸時代に寺が行った事はほぼ間違いないだろう。そしてこれに怒った者が像の総ての首を欠いたと思われる。
『大東京圏の案内とルポ』2009年10月8日付
「首のない五百羅漢像(群馬県藤岡市の七輿山古墳で)」
石室があったはずの部分が削られていた、というのは盲点だった。どんな動機で誰が何をやって、そして何故この結果がもたらされたのかはもう少し慎重に考える必要はあると思うが、いずれにせよ「五百羅漢像が置かれたのは古墳のどの部分か?(→石室があったはずの部分である)」は推測の前提とされるべきだろう。